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21/03/27 ペール・カストール叢書のナタリー・パランと少年倶楽部の漫画家たち・投稿者たち

■今泉武治旧蔵の写真アルバムが小店に持ち込まれたのは2019年の暮れ、2020年の「銀座 古書の市」の目録発行直後のことだったように記憶します。そのアルバムは戦前の広告研究会の作品を発表した「構図社展」から始まるもので、構図社が結成された森永製菓広告課内で公私にわたり活発だった活動が写真の上に仔細に記録されており、展覧会の全出品写真が揃っているばかりか、裏面に「STUDIO HORINO」のスタンプの押された写真 - つまり、今泉と昵懇だった堀野正雄が撮影した写真- が二十数枚あり …… という調子で、貴重なものであろうことはすぐに分かりました。
以来約1年。当初はっきりと姿のつかめなかった「構図社」の当時の実態がつかめたところで、しかるべき筋の方に納めさせていただいたのが昨年の12月のこと。アルバムの素性と重要性のいかばかりかを調べる途上で、森永製菓広告課の先進性はよくよく理解していたつもりですが、またしても唸らされたのが今週の1冊目。
『MASQUES DE LA JUNGLE』はフランスで発行されたナタリー・パラン作の絵本で、フランスの高名な版元・フラマリオン社が手掛けた名高い絵本シリーズ「ペール・カストール叢書」の1冊です。
ナタリー・パランは小店お客様にはお馴染みかと思いますが、ロシアのブフテマスで構成主義を代表する芸術家たちに学んだアーティスト。鹿島茂先生の『フランス絵本の世界』によれば、「ロシア構成主義の正統な血脈を受け継いだ作家」として位置づけられます。
1933年に初版が発行された『MASQUES DE LA JUNGLE』ですが、今回入荷した1冊の
表紙の裏には、「森永製菓広告課計画係 13.9.27」というスタンプが押されていました。昭和13年は1938年なので、初版発行の5年後ということになります。
この絵本、バラして切り抜くか、手本としてトレースすれば動物の立体的なお面が自作できる、どちらかと云うと設計図といった内容なのですが、いかにもナタリー・パランの仕事らしく、単に「かわいい」というものとはほど遠い。むしろ洗練された大人っぽいデザインで、見るからに計算しつくされたかのような構成や、ニュアンス豊かなリトグラフによる印刷など、贅と工夫を凝らしてつくられていることが伝わってきます。 

森永製菓広告部のなか計画課という部署にあったのだとすれば、ノベルティや懸賞商品のヒントにしようとしていたのではないかと想像できるわけですが、それがナタリー・パランのこの本だとは。さすがは森永さん。
こうなったら今度は「ああ! あれがこうなったのか!!!」という森永物件に是非とも出会ってみたいものです。

2点目は『少年倶楽部資料』と書かれた綴り。表紙は後付けしたもので、中身は戦前の古い漫画の肉筆スケッチと読者からの投稿からなるスクラップ帖のようなものです。
内容はすべてクイズに関係したもので漫画や図解を伴うもの多数。『コグマノコロスケ』の作者・吉本三平、松下伊知夫、井崎一夫、佐次たかし、志村つね平、大野鯛三といった漫画家たちが描いた鉛筆書きのラフスケッチで、それぞれ署名入・設問&回答入り
なかには署名の前に「三光」と書き込みがあるものも多く、「三光漫画スタヂオ」所属の漫画家を使っていたようです。
年代の記載はないものの、絵のモチーフに戦車や飛行船、軍人などが散見されることや、吉本が1940年に没していることなどから、およそ1932・1933年ごろから1940年までにつくられた作品だということになります。
さらさらと鉛筆で描かれた漫画はあくまで下図といった印象のラフなものですが、さこはさすがにプロの仕事、どれをとっても実にお上手。
投稿の方はといえば、言葉遊びのような謎かけから、自ら考案したゲームや身近なものの簡単な製造法、ゴールデンバットの薄紙を使った遊びといったものまで、結構幅があるのが意外でした。
漫画家の作品と投稿の内容とはとりたててつながりがなく、漫画家のラフは設問まで漫画家自身が考案したものなのか、編集者などとの打ち合わせなど含めヒントになる何かがあったのか、つまり、どのようにしてつくられたのかは依然として謎ですが、手間暇かけて厳選(「ボツ」と書かれたものも残っていたり)したものが生き残ったのだろうということ、投稿がそれなりの比重で活用されていたらしいことが伺えます。
投稿についてはもうひとつ、「エッヘン。私がお教えしてさしあげましょう。」的な偉そうな口ぶりも、それだけで蒐集対象となりそうな面白さがあるのを発見して、口振りの抜き書きだけでも蒐集する価値があるのかどうなのかただいま少々思案中。

■今週の斜め読みから。
こちらは米NBCの電子版からだそうで、とくに文末は痛烈。
https://this.kiji.is/748021413764907008?fbclid=IwAR067CJ1PtBLPYrsOG9UOby8hN8KFr6akHqJ2LpzAfWJ3qKhjbuQecyJuho
こちらはこちらでまた問題の重大性に気付いていないお歴々のやらかすことと云ったらもう。これでもまだ民主主義国家? 先進国?? 正気???
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20210322/pol/00m/010/003000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20210323 

 

21/03/20 メディア・アートのスタート地点から 9EveningsとE.A.T.

■東京都は感染者数が下げ止まりしたなかで緊急事態宣言解除を迎えることになりました。感染規模の下げ止まりはもとより、次々に現れる変異株、一向に進まないワクチン接種など、まだまだ予断を許さない状況が続きます。
21日以降も小店は緊急事態宣言下と同様の体制・対応を続けながら営業いたします。
お客様には引き続き入店時の手指の消毒とマスクの着用についてご協力をお願いいたします。マスクをお持ちでない方は店頭でお申し出で下さい。
ご不便をおかけいたしますが、ご協力を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

またまた「ぜんぜん知らなかった。」が出てきてしまいました。
「E.A.T.」と「9Evenings」。ご存知でしたか? 恥ずかしながら小店店主、全然知りませんでした。ぜーんぜん知らないまま『クロス・トーク/インターメディア』など売ってたのかと思うと我ながら、底の浅さに血の気がひきます。
猛省しかながら先を急ぎます。
最初に「おや?」と思ったのは、『9Evenings:Theatre and engineering』のパンフレット兼プログラムの大判の冊子と別刷りのプログラム1枚の1組を目にしてのことでした。1966年の10月、9夜にわたって開催されたイヴェントの内容とは如何にとページを捲れば、ジョン・ケージ、ロバート・ラウシェンバーグ、デビッド・チューダ(テュードア)、イボンヌ・レイナーといった名前が並んでいるのに気付きました。慌てて「9evenings」で検索すると冊子のタイトルそのまんま、wikiの長文解説が出てくるではありませんか。云われてみれば、この表紙だけで充分怪しい。以下、くわしいことについては落札後に分かってきたこと(のまだ途上)です。「9Evenings: and engineering」はラウシェンバーグとベル研究所のエンジニア、ビリー・クルーバー(クリューバ)の構想のもと、10人のアーティストと30人のエンジニアによって構成された前衛的なダンス、電子音楽、ビデオ作品など、多彩な作品が発表されたもので、1960年代で最も影響力があったイヴェントと云われています。当初、1966年のストックホルム芸術技術フェスティバルでの発表を予定していましたが交渉が不調に終わったため、舞台をニューヨークの第69連隊武器庫に移して開催されたと云います。このイヴェントの何がすごかったかと云うと、これが実にたくさんあるのですが、例えば …… アーティスト、エンジニア、科学者の間の最初の大規模なコラボレーションだった/パフォーマンス・アートに用いられるようになるさまざまな技術を「最初」に生み出す機会となった/ベル研究所のクルーバーと彼の同僚が150,000ドルを提供/30人の技術者が推定で延べ8,500時間を費やした …… などなど。初めて用いられた技術には、ビデオ・プロジェクションや暗闇での動きをとらえるinfrared television camera、Closed-circuit television、fiber-optics cameraがあり、音響ではボディサウンドをラウドスピーカーに送るとか、doroppler sonar deviceやportable wireless FM transmitterなどがこの場で登場したのだとか。

確かにこれは早くも21世紀を先取りするような陣容による尖端であり前衛だったことに間違いなさそう。"ものすごく すごい"としか云いようがありません。
20世紀初頭、アメリカの美術界を、敷いては世界の美術界を新たなものへと更新したのが「アーモリー・ショー」だったことを考えると、「9evenings」でも武器庫が会場になったことは何か暗示的・象徴的なことのようにも思えます。
ちなみにジョン・ケージはパフォーマーにテュードアらを加えた「ヴァリエーションⅦ」を、ラウシェンバーグはフランク・ステラをキャストに迎えた「オープン・スコア」を発表しています。しかしこの9夜がすごいところは9夜に留まらなかったことにもあり、次の「E.A.T.」へと展開されていきます。…… "E. A. T. の活動はエンジニアのクルーバーが活動の中心を担った点が特徴である。クルーバーがこの運動に深く関わったのはテクノロジー礼賛の傾向に対する強い反発のためで、そのためE. A. T. は、アーティスト主導によってテクノロジーを「道具」として活用する従来の「アート・アンド・テクノロジー」とは一線を画し、グループ内ではアーティスト主導ともエンジニア主導とも呼べない特異な集団制作体制が取られた。パフォーマンスやコラボレーションの画期的な表現形態が生まれたのも、独自の制作体制と無縁ではない。"

■「9evenings」のパンフと同型のタブロイド版冊子『E.A.T. CLIPPINGS』は定期刊行誌『E.T.V. Proceedings』の第7号として発行された特別号の第一巻第一号。米欧中心に南米から日本まで、1960年から1969年までの間に世界各地で報道・批評・レポートされた記事のクリッピングからなる雑誌。日本のメディァでは『みずゑ』と『美術手帖』から記事がピックアップされています。「E.A.V」はExperiments in Art and Technology(芸術と科学技術の実験)の略でアートとテクノロジーの融合を目指したアメリカの前衛芸術家組織。「9evenings」を制作している過程で生まれたグループであり、1966年に設立、68年にはクルーバーが代表となり、「現代アーティストなら誰でも利用できる材料、技術、工学」を実現するために、全米に28のE.A.T.支部が設立されたと云います。「日本大百科全書」を見ると、E.A.T.については、マサチューセッツ工科大学先端視覚研究センターとの関係、大阪万博(ペプシ館!)への関与から、アートと技術の関係まで、例えば下記のような興味深い記述が並んでいます。何だかとても今日的なお話しでもあるような。すでに再評価が始まっているらしいE.T.A.にご興味をお持ちになったら下記のサイトをお勧めします。動画付きも。 

https://kotobank.jp/word/E.A.T.-1506959
https://artelectronicmedia.com/en/artwork/9-evenings-theatre-engineering/
https://en.wikipedia.org/wiki/9_Evenings:_Theatre_and_Engineering

■今週の斜め読みから。
少し前の掲出ですが、この人の書くものはいつも面白くて かつ真っ当。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100003682130924
 

21/03/13 1975-1976 タデウシュ・カントルとナム・ジュン・パイクのポスター

■「75年の初演を僕は見ているんですけど、色々とショッキングな、感動というか、ほとんどの人が訳の分からないものを見たという感じだったと思います。今でこそ僕は冷静に、これはこうで、旧約聖書で、とか言っていますけれど、ほとんど分別不可能な音と、しかもこのクシシュトフォリという地下室では埃のようなものが充満していました。カントルはわざと古い、本当に着古した衣服とか古いものを使うので、息苦しいくらいのところでした。そんな状況で、何が何だかよくわからない状態で見ているんです」

-京都市立芸術大学特別授業「『私と絵画と演劇の三角関係』あるいはタデウシュ・カントル 入門」(2014年6月30日) より
講師:関口時正(翻訳家・東京外国語大学名誉教授)
司会:加須屋明子(京都市立芸術大学美術学部准教授)
https://gallery.kcua.ac.jp/uploads//2020/06/2e9843fc622029eaccfea1d7ec61892c.pdf

20世紀を代表する舞台芸術作品のひとつであり、1976年には『ニューズウィーク』が「世界で最高の演劇」と評したタデウシュ・カントル「死の教室」のポスターが入荷しました。
「THE DEAD CLASS」と英文でタイトルが記され、図版の下にフランス語風に表記された「cricot2」(=クリコ2)はカントルが1955年に結成した劇団名、さらにその下に「FIRST NIGHT: 15 NOVEMBER 1975 KRAKOW - POLAND」とあり、クラクフでの「死の教室」初演を告知するポスターであることが分かります。
ポーランドの専門サイト「演劇百科」では、この作品に関するたいへん詳しい解説を読むことができるのですが、そちらに掲示されているポスターは図版と言語(=ポーランド語)が異なる別ヴァージョン。英文ポスターはより珍しい可能性もありそうです。
当初、アイロンをかけてシワや折れを直し、ビン痕も目立たないように少し手を入れる気でいたのですが、眺めているうちに、このポスターの価値は、クラクフの街か劇場のどこかに実際に貼り出されていたことを示す痕跡にこそあるように思えてきて、あえて手を入れないことにしました。従って、ここにご紹介する状態で販売するものとお考え下さい。 

この優れた舞台作品の存在を知ったのはいまから35年ほど前、P社同期の友人の慧眼と熱弁を通してのことでした。小店店主がその重要性について気が付くことになるのはもっとずっとあと、古本屋になってだいぶ経ってからのことで、まさか日本でその作品の初演のポスターを手にする日が来るとは、何より自分が古本屋になっていようなどとは、いずれも露ほども想像していなかった頃のお話しです。
カントルの作品にはバウハウスや構成主義など、戦前のアヴァンギャルドの影響も指摘されます。作品についてはいまや簡単に動画で観ることのできる時代になりました。自宅に居ながらいつでも好きな時に鑑賞できる! 35年というのはつまり、それくらい驚天動地のことだって起こる時間なのでした。

今週はポスターが続きます。1976年から77年にかけてケルン・アート・アソシエーションで開催されたナム・ジュン・パイク(白南準)のビデオ・インスタレーションの展示を知らせるポスター
ケルン・アート・アソシエーションは、現代アートを扱うスペースとして、ヨーロッパで最も有名な会場のひとつ (なのだそうです。知らなかった…)。
いたずら書きのような吹き出しのなかには、「for 宮 san」と贈り先の方のお名前が。この「宮さん」というのがミソで、お相手はパイクのパートナー・久保田成子とともにマルセル・デュシャンとジョン・ケージによるチェス対戦をおさめた私家版『REUNION』を作った宮澤壮佳さんのこと。ナム・ジュン・パイクの署名もあり。また、ポスターが宮さんに贈られた経緯の書かれたハガキ付きです。
モノクロという手法も、時代もほぼ同じ「死の教室」とパイクのポスターを並べてみた時に感じる感覚的なこのひらきがどこから来るのか。小店店主のおつむでは、あてずっぽうのヨタ話程度しか浮かんでまいりませんので控えます。
左上の画像もナム・ジュン・パイクで同時に「宮さん」に贈られたもの。その辺りの経緯もハガキに書かれています。こちらのポスターも署名入り。バラ売りの予定です。

■あの日から10年が経ちました。
日本は結局何も変わらなかった。そればかりか、被災地をいいように利用する政治だけがはびこっている気がしてなりません。
天災と云う名の人災もまた、一向に改まらいままです。。
いまだ日常を取り戻せない方たち、癒やしようのない傷を抱えた方たちのことを思いながら、あの日のことを、あの日からのことを、まだまだ考え続けなければいけないのだと思っています。
 

 

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