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21/02/06 河原崎晃洞デザインのシンプルで瀟洒な木版図案をバラ売りで !

■本日これから発送作業を数件片付ける必要が生じ、とりあえず新着品は1点のみ。可能であれば後日追加したいところではありますが。どうなりますか。ともかくも。
昭和2(1927)年・内田美術書肆発行の河原崎晃洞『新選図案集』所収の木版刷図案をバラ売りいたします。
河原崎の図案は小店お客様のお好みに合わないのか、不思議なほど売るのに苦労することが多く、ここのところ全く手をださないでいました。師匠にあたると云う古谷紅麟に比べると具象的だし、古典文様を下敷きにしたデザインにしても師匠の師匠にあたる神坂雪佳と比べると突きつめ方が弱いような気もするし、昭和初期の図案としては古めかしく見えかねない …… と、師匠も師匠の師匠もあまりに偉才ではあるにせよ、河原崎さんには何かしら食い足りないところがあるように感じていたのも事実です。
がしかし! その見方が一面的なものに過ぎなかったと大いに反省させられたのがこの図案集でした。
市場で目にした段階ですでに、経本仕立ての折部が断裂、ページによっては汚れや傷みなどダメージもあり、元の姿で売るのは厳しいものの、どうしても捨て置く気になれない図案が多く、活かせる部分をバラして売る腹で落札したものです。
多くは単色、多くとも2色刷というストイックな条件で、枝葉を払ってシンプルにまとめられた和のモチーフが、和製アール・ヌーヴォーの趣に富む完成度の高い作品に仕上げられています。デザインによっては例えば山名文夫や小村雪岱を思わせるものも。もちろん、全て木版刷。
こちらは早速明日より店頭で販売いたします。

今週の斜め読みから。JOCのトップに座る人の論外の発言と小気味よい海外からの批判は周知の通り。なので、今週はこれだけ。とりあえず。
https://toyokeizai.net/articles/-/409437?display=b&fbclid=IwAR3lEItAOZcl_llGniK-gADVrkg0rr-4tfJW9GNN_R75iRZoz43zcDwzHKU


 

 

 

21/01/30 発見 ! 掛札功 ! 出現 ! ヤングセブン !

■「古書目録福袋」に同封してお送りした小店目録のご注文は本日1月30日(土)で締切りとさせていただきます。抽選結果につきましては、1月30日閉店後より2月2日(火)頃までに順次ご連絡させていただきます。
ご注文の重複により、残念ですがご希望に添えないケースもあり大変心苦しく存じますが、どうかご理解を賜りますようお詫びかたがたお願い申し上げます。
しかし何よりも先ず、御礼を申し上げねばなりません。コロナ禍という状況下、一種、リアリティに欠けるあの目録にご注文をお寄せ下さいましたみなさま、目録をご高覧下さったみなさま、そして お問合せ、ご検討下さいましたみなさまに、心より御礼申し上げる次第です。本当に有難うございました。お陰様で今年の滑り出しもまずまずまずです。
改めまして、2021年も何卒よろしくお願い申し上げます。

エフェメラ専門店を標榜するからには、市場に絵葉書帖が出品されていれば必ずパラパラとめくって内容を確認します。小店向きだと思えば仔細に点検しながら頭のなかで入札価格を計算しはじめることになりますが、ここのところ、そこまで行く絵葉書帖はなかなか現れませんでした。これもまた? と期待しないで1冊で出品されている絵葉書帖を開いて見ると、洒落たセンスの肉筆画の絵葉書が結構あって、もう少しよく見てみることにしました。
ミュシャの模写かと見紛う水彩画の絵葉書が1枚、思わず宛名の側を確認すると、差出人の名前は「掛札功」。慌てて同じようにちょっとバタくさい絵葉書をひっくり返すと「掛札」から出された肉筆絵葉書が何枚もあり、しかもまたその絵がうまい! 選んだ絵葉書のセンスも申し分ない! というので久しぶりに絵葉書に入札。ここのところ絵葉書に対する勘がすっかり鈍っていて落札が危ぶまれましたが、上札で無事落札。二番札とは数十円差の僅差だったと、改札直後にその僅差で負けたご本人から聞かされて胸をなでおろしました。掛札さん、どうやら私のことを気にかけてくれたようです。
「掛札功」という人のことを知ったのは、ゼロ年代の中頃だったか、以前に何度かお手紙のやりとりのあった研究者の方から、久しぶりにお送りいただいた研究論文を通じてのことでした。
当時はいくらググッてみたところで出てこなかった掛札功ですが、いまググってみると-

1886年茨城県~1953年東京/写真芸術社の結成に参加する。薬剤師として資生堂、聖路加病院などに勤務。1923年著書『写真引伸法』(写真芸術社)刊行。1949年日本写真会会長に就任。

ということが簡単に分かる2021年です。こういう時代だからこそ、小店店主も落札してきたその日のうちにまるで旧知のように説明が書けるわけですが。それはともかく。掛札は絵画ではなく写真の人。写真芸術社で資生堂・福原信三と肩を並べたられたのも、このセンスあってのことだったんだろうと感心しきりですが、いやしかし。いまは掛札功の絵葉書です。
宛先は「木村晴三」。戦前~戦中に挿絵画家の仕事をしていた人で、消印から見て明治39~42(1906~1909)年頃のもの。その当時、掛札は20歳前後で千葉医専に、木村は京都の第三高等に籍を置いていた模様。手紙の調子から、二人は幼馴染か学友か、同世代の友人関係だったことが伺えます。
掛札からのハガキには「東京名物其一 ハイカラ女学生 四〇六高地式ニ紫ノ袴 オリーブ色ノ絹傘……」とあったり、「画きたくばお笑い草にご覧に入れ」「オキル食フの外人は何もなし得ぬ」と良くも悪くも云ってしまえば健やかな青年時代を過ごしていたことを物語る内容。また、掛札の写真のモチーフとして知られる「庭球」の話も散見されます。 

掛札の写真、ではなく絵葉書、ということで、評価の難しいところではありますが、明治期の洒脱な肉筆絵葉書に少しだけ掛札の名前の分をのせて値付けする予定。
実は「木村晴三」の肉親(おそらく父親)にモースの指導で大森貝塚の写生にも携わった博物画の木村静山が居り、肉筆画のなかには挿絵画家・晴三のもあれば静山のものもあり(!)、画家の銘らしきものの入った静山宛てのものも多数あり……ということで、絵葉書帖1冊分・全98枚とは明日からしばらく付き合ってみようかと思っております。モダンボーイ掛札については、掛札の分だけでまとめる心積もりですが、店に出せるまでいま少しお待ちいただければ幸いです。
ちなみに、画像中の上2段までが掛札の肉筆画。なかでも上右端の魚の絵は「小生の傑作」とご本人が云ってます。確かにうまい!

■先週に続いて戦前と戦後が混在する新着品ですが、こちらは久しぶりの南画廊の図録、中でも珍しい『ヤング・セブン展』が入荷しました。1964(昭和39)年の1月30日、つまり、いまから丁度57年前の今日始まった展覧会の図録です。
タイトル通り、当時新進気鋭の現代美術の作家で東野芳明の序文によれば昭和二桁生まれだという7人-荒川修作、三木多聞、工藤哲巳、菊畑茂久馬、中西夏之、岡本信治郎、立石紘一-を取り上げた展覧会は、こちらもいまではググればたちまち回答が示される戦後美術史上のひとつのターニングポイントに位置付けられるもの。
「白」のイメージが強く、表紙には端正なタイポグラフィを配置した作例の多い南画廊の図録としてはかなり珍しいこの表紙も、「ヤング」を意識してのものか異色です。
小店としては15年ぶりくらいの、実に久々の再入荷品はしかし、某美大の先生が大切にとっておられたらしく一度に3冊の入荷とあって嬉しいような切ないような ……。

■今週の斜め読みから。
さすがにそれはないだろうと多くの方も感じておられるようですが。しかしよりによって生活保護を持ち出すとは…
https://news.yahoo.co.jp/articles/84d2856d97859ce2d76fc10e0e893f00d29342e4
どんな集団でも、トップにはトップとして相応しい能力というものがあると思うのですが、この人の場合、政治=言葉というスタート地点からして心細いわけで。
https://withnews.jp/article/f0210124001qq000000000000000W0fk10101qq000022442A?fbclid=IwAR2Je6wNmwLeiv_0Ukaj3ko3vlqThF1ht_qKxRGy6deD5FhPjeHWYqAtqYs
そもそも、かれこれ1年経ってもこの状況というのはもはやつける薬もないのだろうと思うばかり。
https://mobile.twitter.com/koichi_kawakami/status/1348364970807869441?fbclid=IwAR0aX0weL00_C_-r6w_WMREeepA7u-u2UGST7zfWLw7j6ggmBXLiHJljnOU
ニッポン重篤。

 

 

21/01/23 戦前・戦後 個展をめぐるエフェメラ … 堀野正雄の宣言・工藤哲巳の檄

■大変申し訳ございません。ご好評をいただいております「古書目録福袋」全16冊セット組は払底いたしました。小店は控えの1セットを残すのみです。関西のご同業者の方もいらして、1店ごとに少店まで送っていただくというのも実際には難しいところがあります。
わざわざ書簡に切手を同封して送って下さり、発送を請われるケースがありますが、折角ご依頼いただいても、単に切手を送り返すということになってしまっております。
同人有志のなかには、ひょっとするとまだ数部残っているところがあるかも知れませんが、切手を送るその前に、是非、というよりも必ず、先ずは残部の有無をご確認下さいますようお願いいたします。
有難いご要望にお応えできず誠に申し訳ない次第ではございますが、何卒ご理解・ご容赦を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

今週の新着品より。『堀野正雄 第2回 個人写真展覧会 出品目録』と同じく第2回個人展の「パンフレット」の2点一組。1930(昭和5)年9月、銀座松屋の7階で開催された際の印刷物です。
「パンフレット」には「舞踊と機会美と女の顔」と副題が記載されており、「出品目録」にはその通り、「舞踊」「機械的構造物-優秀船に就いての研究」「女の顔-同一モデルによる研究」の3カテゴリー・全100点の作品名が並んでいます。
「出品目録」には1930年9月1日付の堀野の小文が添えられており、「舞台写真の専門家としての仕事から『新しきカメラへの途』へ精進すること」「機械的建造物を取り扱ふこと」こそが与えられた命題であり、「舞踊」と「女の顔」の作品群によって「私は過去の総決算をする」としています。
「機械的建造物」として展覧会に出品されたのは板垣鷹穂の著書『優秀船の芸術社会学的分析』にまとめられることになる浅間丸・秩父丸の写真23点。板垣の指導のもと、堀野が機械的建造物の撮影を始めたのが同じ年の4月。それから僅か5ヵ月の後、出品作品の四分の一を新たなテーマの作品で構成したことになります。
ここで問題。堀野の仕事をまとめた『幻のモダニスト 写真家 堀野正雄の世界』(2012年 東京都写真美術館編 国書刊行会)の年譜に記載されている「第二回 個人写真展覧会」の会期は6月2日から7日まで。いま手元にある目録・パンフレットと同じ構成・点数・会場です。年譜に基づけば板垣との試行開始から僅か2ヶ月後の展覧会ということになり、「将来への『不は束な研究』の一部分を発表することは、いささか性急の感はある」という目録掲載の堀野の言葉通りではあるものの、それにしても準備時間が短すぎるようにも思えます。開催は年譜に記載の6月だったのか、『目録』『パンフレット』に記された9月だったのか、エフェメラの上に謎がひとつ転がっていました。 

「パンフレット」の方は堀野と堀野の写真に寄せる関係者の寄稿で構成されていて、板垣はもちろん、「舞踊」の部で被写体となった石井獏、高田せい子等の名前が並びます。
目録の堀野の言葉は、次のように結ばれています。
「『新しきカメラへの途』へ! - 私は進行する。」
この年、堀野23歳。新しい人による高らかな宣言です。

■こちらも個展がらみのエフェメラ。実は、今回福袋用につくった目録に載せたかったものの、落とし所を見つけられず掲載を見送ったものです。入手は昨年のことですが、店頭に出すのは明日からが初めて。
壹番館画廊で1970年に開催された『三輪龍作の愛液展』図録。文庫本サイズの全24P。三輪龍作の作品は好みの分かれるところですが、何しろ巻頭5Pにわたり日英仏三か国語で工藤哲巳の文章が掲載されています。「我等の同志、龍作ゲリラよ! ブルジョワの寝室に侵入せよ!」といった調子で始まる工藤の文は推薦文や論考といった穏当なものではなくまさしく檄文。
1960年代半ば、活動の早い時期から主要な舞台を海外に置いていたためか、工藤の自筆文献数は非常に限られたもので、『あなたの肖像-工藤哲巳回顧展』(2013年)によれば約90点ほどで、しかも雑誌などへの寄稿がほとんど。『三輪龍作の愛液展』は数すくない独立した印刷物への寄稿例とみて差し支えなさそうです。
ブロックに組んだ文字組や色使い、写真、レイアウトなど、ただものならざる図録には、吉岡康弘(写真)、海上雅臣(編集)も関わっています。
三輪龍作は萩焼の窯元で後に12代休雪を襲名する名門の出。伝統的な焼物の世界にあって、奔放なオブジェを志向し、工藤哲巳や吉岡康弘といった前衛と交流するなど、1970年前後の美術界の動向を色濃く反映した図録です。

久しぶりに今週の斜め読みから。と思っていたのですが。そう遠くない知り合いのなかにQAnon信奉者がちらほらいるのに驚いて、さらに、いまもってバイデンの就任式は録画作成されたものだとか強弁しているのを見て愕然とするあまり他のことをすっかり忘れてしまいました……。来週こそはまともなネタが拾えますように。

 

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