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18/07/21 1954年 吾妻徳穂アメリカ公演に関する記録ほか

■暑中お見舞い申し上げます。
西日本の豪雨から一転、日本列島隈なく猛暑に見舞われているようですが、みなさまご無事でしょうか。大げさでも何でもなく、安否を尋ねたくなる今夏のこの状況を見るにつけ、1日を大過なく過ごせたことの有難さを思います。
実は今週17日は、体調不良により臨時休業いたしました。早くも夏バテ到来であります。がしかし、一日寝て回復、来週は週3日店番に務めたいと思います。
画像1点目はせめてもの涼をお届できればと、日本茶の商標の入った団扇の木版刷の図案です。
みなさまもどうかくれぐれもご自愛くださいますように ! 

なぜ吾妻徳穂に関するファイルを買ってしまったのか。答えは簡単。武原はんとか井上八千代とかそうした人たちと混同したまま勢いで入札してしまったから、なのでした。
吾妻徳穂が地唄舞のヒトではないと分かっていたら買わなかったのになあー取り返しがつかないよなあーとずしりと持ち重りのするのを持ち帰ってきたのが今週の2点目です。思えばこうした賑々しいファイルの存在自体が、地唄舞的ではなくいかにも「アヅマカブキ」的。
ファイルの内容は、1954年のアメリカ公演への出発時から帰国後まで、渡米に関する私信と書類をまとめたもの。
何しろ吾妻流日本舞踊の家元だけに、高弟による激励の手紙が多いのに閉口しつつも仔細に追っていくと、日本が、戦争によって途絶されていた世界との関係を取り戻すべく活動していた時期ということもあってか、国際文化振興会がロックフェラー夫妻との面会をアレンジしていたり、「アメリカ合衆国のロビイスト」で「日系二世の中では、最も著名な指導者として知られている」マイク・正岡の署名の入ったレターや米重要人物宛ての大映・永田雅一の署名入り英文書類複数他、これを機としてアメリカの中枢と関係を結ぼうとする動きの一端がうかがえます。
また、ラジオシティのマネージャー、そしてロイ・オリヴァー・ディズニーの署名入りレター有力興行師ソル・ヒューロックからの電報ニューヨーク・タイムズの舞踊評論家ジョン・マーティンの署名入りレター等、興行・舞踊関係者の文書が散見される点も興味深いところ。アメリカ滞在中の手紙には、次男・元靖のメッセージが添えられていたり、凱旋帰国の際の祝電には、鏑木清方の名前があったりと、内容的にはそれなりに充実していてひと安心。
一番驚いたのは、帰国後に吾妻が出したアメリカ向けの手紙の控えのなかに、1954年当時、アメリカ副大統領だったリチャード・ニクソンの夫人、そしてホワイトハウスのアイゼンハワー大統領その人宛てのものが残されていること。徳穂も、夫である藤間万三哉もアイゼンハワーの握手が「決して形式的なものではなく、心情溢れるあたたかなものだった」と綴っているのが印象的です。吾妻徳穂、藤間万三哉、アイゼンハワーと握手です。ううむ。
政治的・社会的和解の季節に歌舞音曲が利用されるという点では、いまの北朝鮮のことをちょっと思い出したりもするのでした。 


■このひと月、日本画の下絵を軸装に出そうかどうしようか迷っていたところに出てきたのがこちら表装用の裂地の見本帖 (画像中右端に置いた「国印 笑楽白絣」だけがキモノの生地のサンプル帖)。
『裂地標本』が「松」と「竹」の2点、『表装裂地絹桟見本』が「松」「竹」「梅」に「芳」「佳」の5点。いずれも戦前の古いもので、1点につき12点または24点の生地現物が貼り込まれています。
洒落た地模様を織り込んだシルク地、渋い色の無地の絹布、多彩な縞柄など見ていると、その組み合わせを考えるのはキモノのおしゃれに通じるものがあり、経師屋さんというのは何とも楽しい仕事だろうかと思うのでした。がしかし隣の芝生は多分、とぉーっても青く見えているに違いないのでした。

■店のPCはようやく復旧。来週には、自宅PCのフォトショップも何とか復旧できそうです。それにしても、不具合を抱えて困っているユーザーはどれほどの規模になるのか。にもかかわらず製造元が公に何の情報出していないのというこの状況が何故許されているのか、当国現政府の支持率の高さと並んで とてもとても不思議です。
 




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