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18/09/01 1895-1902 欧化政策真っただ中の帝国ホテルの晩餐メニューと1930年代~日本化を強いた植民地への観光案内

■一週間が矢鱈に早い! またまた新着品ご紹介の日がきてしまいました。いや。それより何より。もう9月だというのにビックリ。しかも9月の声を聞こうというその日のこの暑さ。かててくわえて週明けにはまた「今年最強レベル」を更新しそうな台風までやってくるとか。平成最後の夏は、文字通り時代を画する夏として記憶することになりそうです。
さて、HP閲覧の際のフォーマットが崩れないための、ただただそのための文章増量はこれくらいにして。今週も新着品のご案内です。やれやれ。
 
1点目は1895(明治28)年から1902(明治35)年までに帝国ホテルで供されたディナー料理のメニュー61枚。ほとんどが日付の異なるメニューですが、一部、年月日が重複していながら内容の異なるメニューが含まれています。
当初コースメニューと思っていたのですが、よく見てみると肉料理が複数並んでいたり、カリー&ライス、マカロニグラタンなどが顔を出していることなどから、コースではなくアラカルトで提供するメニューであったことが分かります。
また、オムレット・オ・フロマージュのようなフランス語による料理名と、グラタン、ビーフステーキなど英語表記の料理とが並列されており、いまで云う「洋食」の原型を思わせる内容です。
とはいえ、外交の主要舞台としての役割を担うべく、欧化政策の象徴・鹿鳴館に隣接して建てられたホテルだっただけに、メニューを具に見ていくと、牛肉、鳩、トマト、ジャガイモ、チーズなど、明治以降、国内で生産が本格化した食材が頻繁にメニューに登場する他、例えばテッド・ド・ボー(仔牛の頭の煮込み)のような本格的なフランス料理も出てきて、食材の調達が一体どうなっていたのか、驚くようなものも散見されます。 

日本の洋食黎明期の記録は、日本人が自分たちの食卓へと何を受け入れ、何を受け付けなかったを明らかにする資料であるとともに、世界と肩を並べるべく日本がどんなところでどんなふうに“背伸び”していたかを読み取るためのユニークな資料と云えそうです。
1895年は1月に樋口一葉「たけくらべ」の連載が開始、12月に牧野省三がリュミエール兄弟製作の短篇映画「汽車の到達」を有料公開、日本初の映画興行が始まった年。前世紀の名残と新世紀の世界の尖端とが日本という国、東京という都市の中でどのように混じり合っていたのか、61枚のメニューの向こうに広がる風景に興味は尽きません。
 
■欧化政策の後、日清日露で勢いづき、調子にのってよそさまの土地をいいようにした時代の忘れ形見が今週の2点目。画像にある3点ですが、大きいもので長辺約15cmほどの小ぶりの冊子です。
『新京』は昭和17(1942)年、新京特別市の南里洋行が発行したフルカラーの写真集。おみやげ用に販売していたものと見られます。新京駅、満洲国国務院、経済部等政府機関や百貨店や電信電話会社などの建物から、吉野町銀座通、新発路寶山百貨店、公園など繁華街の賑わいや緑の風景まで29図所収。
『新京の栞』は康徳5(昭和13・1938)年、新京観光協会が発行した新京観光のための便利帳。読物「伸びゆく大新京」に始まり視察便覧、観光コース、おみやげ、旅館から、食道楽、撞球、カフエー、花柳街、夜の新京 まで住所入りで紹介。カフェーでは女給さんの顔写真まで載せていて、遊興関係情報が充実。表紙もモダンです。
アジア号のイラストが表紙を飾る『ビューロー案内』は奉天にあったジャパン・ツーリスト・ビューローが昭和14(1939)年に発行した非売品。ビューローの沿革、組織から業務全般について簡潔にまとめられています。
 
 

 

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