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19/06/01 「うつす」ということに関する3点。

■今日から6月。6月は東京古書組合南部支部主催による年に一度の大市の月。それが今年は6月8日(土)とあって、小店6月8日は午後遅く15時~16時からの営業とさせていただきます。どうかご注意いただけますようにお願いいたします。
本日6月1日(土)、来週の4日(火)・6日(木)は12時より20時まで通常営業いたします。ご不便をおかけし、なおかつ梅雨入りも近づいてきておりますが、ご来店いただければ幸いです。
また、HPの更新は来週1回お休みさせていただきます
どうか悪しからず、何卒よろしくお願い申し上げます。

画像1点目は本の上に立つベティちゃんとその愛犬パジーをかたどった金属製の置物。比較的重量があるので、ペーパーウェイトではないかと推測しています。このページ左上はその後ろ姿。前から見ても後ろから見てもかわいい。高さは10cm弱とこれまたカワイイ。がしかし、残念ながら「忠実なうつし」…というには少々苦しい造形は、わが国でもベティが大流行した昭和初期の日本製ではないかと見ています。

 

■後にインドの3大財閥と云われるようになるタタ・グループ2代目会長を務めたドラブジー・タタの婚礼を記念して、ごく小数部つくられたと思われる写真アルバムが今週の2点目。
見るところ19世紀の後半の頃のものらしく、幕末~明治の日本の写真アルバムを使ったのか、金彩画を施した重厚なアルバムに21×26cm強の鶏卵紙写真22点、横倍サイズの写真1点が貼り込まれています
タタ・グループはドラブジーの父、ジャムシェトジー・タタが1870年に貿易会社を設立したことに始まるそうで、自宅で開かれた結婚式と両家の家族などを記録した端正な写真と、この頃すでに一大財産を築いていた一族の所有する広大な土地や、贅を凝らした豪壮な邸宅の写真とで構成されています。
タタ・グループは1892年に世界初の公益信託のひとつJ.N.タタ高等教育基金を設立するなど、その名も『善良過ぎて潰せない』というタタの歴史を追いかけた著作があるほど、企業倫理の高い企業体だと聞きますが、その沿革概略を公開している同グループのサイトその他、いくもかのサイトを確認したつもりですが、このアルバムに残されている写真と同一のものは、いまのところ見い出せませんでした。
また、扉には、「R. Kawamura」と日本人の宛名が書かれているものの、一体どのような人物だったかは小店では解けない謎として残りました。
近い将来、せめてカワムラ氏の正体だけでも突き止められないかと思い、もとい、思っては、いるのですが、さて。

■社会変革、と云う点では、タタ・グループのお仲間と云うべきか…? 1950年代の国鉄工場の労働の現場と、国鉄労組による国会周辺でもデモ・抗議活動などとを収めた33枚の写真が入荷しました。戦前のプロパガンダ雑誌さながらの工場でのスナップ写真の中にはとくに力のある作品が目立ちます。
写真の1枚の裏に「日本機関紙協会」のスタンプ、別の1枚に「青年報道写真家協会 写真 山本静夫」のスタンプがあります。
「青年報道写真家協会」は写真家集団マグダムを意識して結成されたもので、山本は三木淳、大竹省二、田沼武能らとともに参加、顧問には木村伊兵衛と土門拳が迎えられたと云います(AERA dot.鳥原学連載「アサヒカメラの90年」第7回より)。
作品として見て優れているだけでなく、報道写真家を目指した人たちの視点が捉えた一瞬が、資料として見ることができる確かな記録となっていま残されています。

今週の蛇足。
https://mobile.twitter.com/tako_ashi/status/1133327621121486850?s=12&fbclid=IwAR3yYTcKf_S15KPmg6oQF8f8IgYUMoBkcBWnWkzTz7Q6Wa4ZXzQbtGkz_58

https://twitter.com/3sc5vunuphy5env/status/1127224186743603201

 

 

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