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07/11/10 Information

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1940・41年発行の『LA RIVISTA』 戦時体制下のグラビア表現多数

■今週に続き、店は来週も少々流動的なスケジュール。火・木曜日は通常の12時~20時ですが、土曜日は15時半頃からの営業とさせていただきます。二週続いて面倒なことになって、本当に申し訳ございません。来週は、土曜日だけはくれぐれもご注意を…。 今週もドイツ語版『CASSANDRE』、ぬやま・ひろし(=西沢隆二)が編集に関わり、木村伊兵衛がグラビア監修を務めた『グラフわかもの』 (珍品!)の1本口、着物の柄見本帳2点、小店としては珍しい(たまには売れそうなものも買わないとね。なんて思って買ったものに限って売れないのも分かっていながらあぁあ買ってしまった)金子国義の銅版画2点などなど、“新着品入荷!”といえる落札点数だけは何とかクリアできたようです。では早速そんななかから。最初の画像は1930~40年代初めにイタリアで出版されたグラビア雑誌4冊の内の二点、1940・41年発行の『LA RIVISTA』です。版型など一見したところフランスの『リリュストラシオン』に似た印象がありますが、さすがに戦時色が前面に打ち出され、画像左側の一冊は巻頭特集に三国同盟各国とその支配下に置かれた地域のレポートを置いています。もちろん、ドイツの頁にはヒットラーの姿が堂々と…。右の一冊は「フィアット」社の特集記事から拾った画像ですが、あの第三インターナショナル塔まがいのオブジェ建築やら斜めストライプ塗装の施された賑々しいスペイン館などが並ぶミラノの見本市の特集、機械をクローズアップし、しかも大胆なカラー処理を施したアヴァンギャルドなグラビア・ド迫力の1P大など、これ以外にも実に見所の多い一冊。さすがは戦中も前衛を否定しなかったイタリア、といったところでしょうか。三国同盟当時の日本ではナチス・ドイツびいきばかりが目立ち、それを引きずるかのように当時のイタリアに目を配る人はいまだに少ないようですが、戦時体制下のグラビア表現ということでは、イタリアも“見るべき価値”充分ありと見ました。

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宮島幹之助著、里見宗次装丁・挿画『洋行百面相』 昭和11年・初版

■下の画像、よぉーくご覧いただくと…いや、やっぱり見えないか…表紙の絵の下の方に「SATOMI」とありまして、即ち里見宗次が装丁を手掛けた数少ない和書の一冊で、『洋行百面相』といいます。著者は創立当初より「北里研究所」で幹部を務めた宮島幹之助。発行は昭和11年で、148Pの本文中にも里見がこの本のために書き下ろした挿絵が多数収められています。内容はといえば、失礼ながら、欧米文化に題材をとった何といったこともない笑話集なのですが、書籍の元となったのは、数年間度重なる海外出張を余儀なくされた著者が「倅」に宛てて送った100通近くの手紙だったといいます。時に下ネタも混じるこの100通、“病臥久しき倅を親しくみとることができず”、“家信毎に同じ慰めの言葉を繰り返す勇気も挫け”た時に、ふと思い付いて“異郷での小話を通信すること”にしたのだと。病床にあってこの小話の到来を待ち侘びていたという我が子は、しかし著者在外中に亡くなり、函底に大切に残されていた便りを一冊にまとめて上梓することを思い付きます。“在巴里の里見宗次君がこれを伝え聞き、文句の足らざるを補わんとて、挿絵を描いて送ってくれた。”そして、我が子と同様、病床に呻吟する人たちにとって“一時なりとも慰めとなり、苦痛の緩和剤ともなれば本書の刷成は無駄ではない訳。由来は兎も角として内容はこれ笑談漫記、笑う門には福来るの諺もあれば、敢て一餐に供する次第である。”―宮島のこの心の在りよう。里見のこの心栄え。病をネタに泣かせることを競うかのように量産される昨今のベストセラーとの違い…付言は要さぬというものでしょう。

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