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10/03/20 かつてない振れ幅での新着品2点 = アール・デコの彩色プレート30点と戦時下日本・男子児童の絵日記・絵巻物仕立て(?)


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1930年、パリで発行されたE.S.セギュイによるアール・デコ図案集『PRISMES』。未綴じのプレート30点は全てオフセット印刷にポショホールの手法で彩色を施したもの。本来40点で揃いであり、テキスト部分も欠落しているため、今回入荷分は店頭でのバラ売り。

■当ページのマンネリ打破は依然棚上げのまま、今週も新着品のご案内の日がやってきてしまいました。「はぁ。」と溜息なんぞも交えまして - 最初はアール・デコ・スタイルも明快な図案集『PRISMES』。画像左端のポートフォリオに未綴じ・40枚のポショワールのプレートを収めていたはずのものですが、当品ではこの内10枚が欠けた全30枚。本来備わっているはずのタイトルとテキストのページも消え失せており、刊行年は不明。プレートをよぉーく見るとオフセット印刷の上からステンシルの手法で色を加えている様子、とすると1925年から1935年あたりの刊行ではあるまいかとあたりをつけ、Abebooksでケンサクしてみると …… 案の定出てまいりました。世界はひとつ・情報は陸続き。本当に便利な時代になったものです。ええ。まあそれは兎も角も、肝心の刊行年は1930年と判明。一方、著者であるE.S.Seguy(E.S.セギュイ)という人は、アール・ヌーヴォーからアール・デコ期にかけ、とくに蝶や昆虫など自然をモチーフにしたグラフィックおよびテキスタイル・デザインでその名を知られていたもよう。泰西流行と見れば知られた名前だろうが紙の切れっぱしからだろうが当然のようにドシドシとり入れていた本邦図案家諸氏、当品ポートフォリオには「本所向島 レンボゥ図案社」のスタンプとともに“昭和6年5月11日”の書き込みが添えられており、遥かフランスより同時代に導入されていたこと、どうやら疑いなく、欠けた10枚はマッチ・ラベルか手ぬぐいか、いずれにしても有効活用され、向島界隈で流布したのではないかと推察いたします。ところでレンボゥとは何ぞや、と考えるに、レインボゥ=虹のことではないかと思われ、とすればレインボーにプリズムとは、さすがは向島、なかなか粋な図案家氏ではなかったかと思う次第。もひとつ肝心なことを。こちらの商品、プレート元欠のため、店頭でのバラ売りとさせていただきます。プレート好きの皆様には、是非、ご来店のほど冀い奉りまするぅ~。←アップ途上でただいま午前2時をまわりました。


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川崎駅近辺で暮らしていたと思われる小学校児童による夏休みの『絵日記』は和紙に水彩・墨筆、横に長く貼り合わせた巻物仕立てで、2年分・各一巻。ためらいなく伸び伸びと描かれた絵と、奇を衒わない素直な文章で、戦時体制下にあっても失われなかった子供らしい感性に満ちている。

毎週新着品を概ね2点、多い時で3点ご紹介するにあたっては、品物を選ぶのにこれまで多少の連関性なども考慮してまいりました。が。どうしても・どう考えても・繋がりのカケラさえ・見つけられなかった今週の2点目です。こちらは巻物。といっても立派な古典籍とか絵巻物とかとはもちろん違って、子供の夏休みの『絵日記』という …… 市場では珍しく女性古書店主が3人もほぼ同時に足を留めたのが当品の前だったという …… (以下しばらく市場での会話の再現) 呂古書房さん「あら。かわいいわね。」つづらやさん「あ。おもしろーい。」ニチゲツ堂「お、面白いですよねぇ。とりあえず、札、入れときました。」呂「いつ頃のものかしら。」つ「海軍会館に行ってますね。防空壕も出てくる。」ニ「… 戦中。ですか。ですね。ははは。」呂「珍しいわよ。これ売れそうよ。」ニ「う、うれ、売れますか。」つ「そう思います。」ニ「い、いまこれくらいの(ここで金額を示す)札入れてるんですけど。」呂「○×△くらいで売れなぁい?」つ「売れそうですよねぇ。日月堂さん日月堂さんしかも!これ! HP更新の時に書けることいっぱいあるし!」ニ「!!!。あっ、改めますっ。」…… といった経緯で落札。確かにここまでだけでも書くことはいっぱいありました。ネタとしては上出来です。『絵日記』は7月下旬から新学期の始まるまでほぼ毎日書かれたものが2点。明らかに上達の跡が見られる1点の方に、「五-二 明石健」と記されているので、小学校(国民学校)五年生・男子児童の手になるものと分かります。川崎、桜木町、日本鋼管、8月3日にお祭りのあった稲毛神社など、日記に出てくる記述を総合して、当時、明石くんは現在の川崎駅近辺で暮らしていたと推測されます。川崎市が初めて空襲を受けたのが昭和17(1942)年、日記にはすでに防空壕が現れていること、描かれた国民服のスタイルや、川崎市が昭和19(1944)年から小学校4年以上の集団疎開を行ったことなどから考え併せると、この2点は早くても昭和15~16年、どんなに遅くとも昭和19年以前に記されたものと見られます。「八月一日  今日は米屋に行った。米屋でゴハンをたべていた。」という記述に、当初は「企まざるユーモアか?」 と笑っていたのですが、時局がらみで見るとしかしこれ、お米屋さんの告発となっていた可能性も出てくるわけで、そう思うと途端に笑えなくなりました。まずいゾ明石くん。


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蘆谷蘆村著『童心の小窓』昭和4年京文社発行・再版。著者はキリスト教伝道師を目指した後、詩作・児童文学研究に転じる。児童文学研究の当書中にも、ワーズワース、西行などに関する小文があり、全体に非常に高邁かつ精神性の高い印象。

プールに行き、臨海学校に行き、防空壕も遊び場に変え、靖国神社の鳥居の大きさに驚き、お母さんと一緒に行った病院では「ぼくは九時にねないのでげんこつをはらわ」れたりする明石くん。一人で郵便局に行けば何か書き足りないことがなかったかと心配し、友達と二人して大きな木のてっぺんに登りまぶしい光のなかで落日を見送る明石くん。道具立ての点では確かに戦時下を映しながらどこか、昭和の頃にはどこにでもいた子供のひとりのようで、そして、この当時の子供ならどこにでもあった夏休みの過ごし方のようでありながら、けれど、この絵日記は誰のものとも差し替えることのできない、唯一明石くんだけが残すことのできた記録です。明石くんの夏休みの物語は、二巻合計十数余メートルの和紙の上、幾多の戦災を潜り抜けて残されました。丹念に施された補修の跡が、差し替え不能な物語を、さらに重い、重いものにしています ……と感傷にひたるのもいいのですが、それにしてもなぁ。呂古さんからもつづらやさんからも、指摘がなかったのは何故だろう。「どんな方なら買ってくれる」というその指摘は一体どこに…… それって一番肝心なことじゃあないのかニチゲツ堂。こんなものを買ってしまうとその延長線上でつい買ってしまったのが画像3点目蘆谷蘆村著、昭和4年京文社発行の再版『童心の小窓』はタイトルと、恩地孝四郎の装丁なもので、ついつい。この他、コクトーの翻訳をはじめとする戦前の黒っぽい書籍があと10冊ばかり、白っぽいところで学術書が10冊程度の新入荷、今週はいずれも相当年数在庫となりそうなツワモノ揃いの新着品でありますあっはっはっ! ← こういうのも「焼け有」といいたい。

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