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10/04/10 今週は新着品より来週の営業日程にご注意下さい。


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『TOKIO』というタイトルの由来がいまのところまだ謎な野村節雄遺稿集。オートバイと自動車を愛し、17才で亡くなった野村財閥創設者の子息の、生前、確かにあった優雅な日々の記録。昭和3年・非売品。

■先ずは大切なお知らせから。来週は二年に一度、東京で開催される「全古書連大市会」のため、4月14日(水)~4月16日(金)は神田通いで店はお休みをいただき、営業は13日(火)と17日(土)の2日間、各日12時~20時とさせていただきます。4月15日(木)はお休みとなりますので、どうかくれぐれもお間違いのなきよう、よろしくお願いいたします。また、14日~16日の間は、在庫品のご照会に関するご返信もお休みをいただきます。そうでなくとも少ない営業日、せめてものネット販売、であるべきところ、ご返信もクイック・レスポンスとはいかず…と、万事ご不便ばかりおかけし本当に申し訳ございません。何卒ご容赦の上、引き続きお付き合いのほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
全連前とあって、今週の市場は品薄。しかも所用のため帰宅がいつもより少し遅れ、今週ここでの新着品ご紹介は1点のみ、駆足で。自動車の図案を木版にして函貼りした厚冊『TOKIO』昭和3年に発行された非売品で、野村節雄という人の遺稿集。装丁に使われた自動車のスケッチも本人が描いた遺品からとられたものです。ごく短かい略歴によれば、野村節雄は明治44(1911)年に出生、御影尋常小学校、甲南高等学校尋常科等を経て、甲南高等学校高等科在学中の昭和3(1928)年に逝去、ということは17才で亡くなった方。画像=当書所収の写真(コロタイプ印刷)には、節雄くんのまだ少年の面影濃い姿とともに、とんでもない優雅な暮らしぶり - 自宅には自動車とオートバイがそれぞれ数台、なかには節雄くん専用のオートバイもあり、自室と思われる写真は完璧な洋風生活、スーツ姿で避暑地に遊ぶ - が残されており、一体どういったお宅かとページを繰って分かったのは、野村財閥を築いた二代目・野村徳七のどうやら次男であるらしいということ。学校から学友とともにオースチンを運転しての帰宅途中、踏切事故を起こして列車と衝突して亡くなったということで、両名とも無免許。優れた実業家で趣味人でもあった徳七からすれば、息子の自動車・オートバイ趣味もむしろ好ましいものと映っていたのか、無免許での運転を赦していたことについては非を認めながらも、踏切の構造的な欠陥や事故の多さについて何度も何度も繰り返し指摘してやまないのは親心というものでしょうか。それにしてもここに残された当時の上流階級の生活と、例えば在庫目録で最近ぽつりぽつりとアップしている1929年の『戦旗』に記された“労農”階級の生活との隔たりって一体?  - ということがもはや遠い過去だけのお話でなくなりつつあるように思えるのですが本当にどうなっていくのでしょうかこれからの日本。といったところでたちあがれとは思わないけれど。今週はこの他、同志社大学教授時代の蜷川新宛てに海外から送られた絵葉書(ファイル1冊)昭和7年・福岡県女子師範学校修学旅行の記録(孔版資料と女生徒の日記の比較的厚い綴り)新芸術論システム2冊等々が新入荷。何しろモンダイは来週です。有名・大物そろい踏みとなる大市が大の苦手な小店、どうなりますことやら…。

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