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10/06/03 内田誠著作・刊本より 小村雪岱異色の木版画入『隆に賜へるの書』と、贅を凝らした漆塗本『父』


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『隆に賜へるの書』 スリップケースの葡萄の絵、書籍本体の背タイトル文字と木版であしらわれた王冠の絵は内田誠の次男で亡くなった隆の弟・内田洋による。画像にはないが見返も洋の絵の木版。画像中一番上の段、袖を折り畳む格好で挿入された多色刷り木版画は小村雪岱による「第一東京市立中学校之図」で、版面に「雪岱」の名前有。他に山本鼎の「白菜」「菊」、足立源一郎のカット3図も。

■先週もお知らせいたしましたが、明日6月5日(土)のみ、東京古書組合南部支部の大市のため、店の開店時間を14時30分とさせていただきます。くれぐれもご留意のほど、お願い申し上げます。来週はこちらのスケジュールの通りいつもの営業日時で。今年もはや6月、梅雨入りも気になってまいりましたが、変わらずご来店いただけますよう何卒よろしくお願い申し上げます。
金曜・土曜と続く南部支部大市の関係で、今週はいつもより一晩早い新着品のご案内となりました。『隆に賜へるの書』は香取任平の編纂、内田誠を発行人として昭和8年12月に発行された非売品。皮紐付のスリップケース入り(同書所収の「装丁及挿図目次」では「箱」と記載。当品は皮紐に欠け有)の菊判229P、半皮装・背タイトル金箔押し、天金、表紙と見返しは多色刷木版 … といった具合に大変手の込んだ立派な本で、内田誠の長男・隆が腎臓疾患により14歳で死去したのを受けて編まれた追悼文集です。内田誠は後述する内田嘉吉の一人息子で、自身は明治製菓の宣伝部に勤務しながら随筆や俳句の世界で名を残すことになりました。政治経済の分野で活躍した父親とは対照的に、趣味人としての人生を貫いた内田誠が世に出した本だけに、隆の通っていた第一東京市立中学校の教師やクラスメート、親戚縁者による追悼文に留まらず、佐藤春夫、北原白秋、秦豊吉、邦枝完治、誠が加わっていた「いとう句会」の宗匠・久保田万太郎らが寄稿、また、山本鼎、足立源一郎らによる挿図も多数で、なかでも小村雪岱の多色刷木版画「第一東京市立中学校之図」が目をひきます。久保田、邦枝等を通じてか、或いは企業の広告宣伝部に身を置く同じ立場の仲間としてか、いずれにしても内田誠と雪岱との間に交流があったことは、誠による他の随筆集に雪岱の名前が散見されることからも明らかですが、雪岱らしからぬモチーフで描かれたこの作品の向こうには、同じ年に資生堂宣伝部を辞めていた雪岱への内田誠の配慮の産物か、はたまた二者の友情の賜物か、何かもうひとつちいさな物語があったのではないかと想像したくなってきます。ところで当書の編纂に関わった香取任平ですが、内田誠と同じ明治製菓宣伝部でPR誌『スヰート』の編集に携わっていた人だとか。さらにこの人についてケンサク結果を開いみると、今度は中島敦との接点なども見えてきて … こうなると一体どこをポイントにこの本のことを説明するべきか、いずれにしろ一筋縄ではいかない物件を抱え込んだことだけは間違いないようです。
■同じ内田誠を著者とする、こちらは父・内田嘉吉追悼の書。タイトルもそのまま『父』とした当書は、昭和10年・限定120部発行。多色刷木版画を貼り付けた函に、“装丁漆研出塗”- 表紙は漆塗りで金の飾り部分を研ぎ出した - 菊判・天金、本文紙は“特漉透入局紙”使用・囲み罫入、洋書貴重書の蒐集でも知られた嘉吉の蔵書からとった図版を石版刷に起こして見返と扉に使用、本文中には銅版画もあれば二色刷りの図版も多数あり …… と、これまたとんでもなく贅沢な本となっています。


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内田嘉吉追悼の書『父』 函はマドリッドの百貨店の名前の入った紙箱の意匠を木版に起こして使用。書籍本体は朱の漆塗で背にはK・Uのイニシャル、平には中世航海誌より「ビクトリヤ号」を金で入れ漆を塗った後研ぎ出したもの。見返の石版の他、本文中には銅板を含む挿図多数。この内、画像左は足立源一郎による「巴里書肆の図」で、こちらも袖を折り畳む格好で挿入されている。

内田嘉吉は1866年生まれ、帝大卒業後逓信省入省、当時より後藤新平、渋澤栄一らの信頼を得、台湾総督府民政長官を経て民間へと転じた後は「日本無線電信」の社長などを務めた人物で、生涯のうちにトータルで6年位の時間を海外視察に費やしたとされます。内田嘉吉・誠については、「内田嘉吉文庫」のある千代田図書館のサイトに詳細があり、こちらを参考にしていただくとして、こうした生涯に相応しく、『父』も海外通・洋古書通としての内田嘉吉の姿を中心に描かれた内田誠の随筆文が過半を占め、弥吉光長の「西班牙将来古書扉」といった文章を添えて構成されています。パリの長谷川潔、ハリウッドの上山草人、欧州から持ち帰ったヨーヨー等々、いま急いで斜めにページを繰っただけでも気になる単語が次々と出てきます。図版も視察旅行の折に触れ海外で蒐集した貴重書の扉や書庫-駿河台図書館寄贈直前-の風景、洋行中のスナップや視察先から送られたハガキなどが多くとられています。内田嘉吉が亡くなったのは当書発行より1年半程前の昭和8年1月。先に追悼文集の刊行された隆の死去は昭和8年6月のこと。僅か半年の内に父と長男とを相次いで喪うという不幸に見舞われながら、瞥見する限り、内田誠の悲嘆は、あくまで淡々と簡潔に綴られた文章の向こうに隠れ果せたかに見えます。『隆に賜へるの書』で他の多くの図版を退けて真っ先に置かれた嘉吉の日誌 - 渡航中に初孫誕生の報せを受けとり、「隆」と名付けて電報を打った日の日誌を直筆のまま覆刻・所収-が、その哀しみの深さを物語るかのようです。内田誠の著先についてはもう1冊、昭和10年・限定200部発行の『浅黄裏』も入荷。こちらの目次には巴里祭、銀座、野暮、広告、万年筆、さらにはバツクスト(バクスト)なんていう注目すべき題名も並んでいて、木版・染布を使った装丁も見事(そのままキモノのコーディネートの参考になります)な当書は好事家・内田誠の面目躍如であります。少し前にご紹介した野村徳七による追悼文集も見事でしたが、昔のお金持ち・名家の方たちというのは、本1冊作らせても、趣味を反映したセンスから洗練された感情表現の深みまで、いまの○○な方たちとは何かが決定的に違うようです。ともあれこの3冊、いずれも土曜日に店の棚に入ります。
来週は、当新着品ご案内もまたいつもの通り金曜深夜~土曜未明に更新の予定です。何しろ大市という大市、そのことごとくを苦手とする小店、しかも、ここのところの東京の気温に合わせて懐はますますうすら寒く、一体何をご紹介できるか、は、あくまで期待せずに!( 何故こんなところに「!」?) お待ち下さいませ…。

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