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15/08/22 名前を記されなかった写真家の仕事と名前を残した人々によるあまり名前の残らなかったバレエ団をめぐる商品

■休み明けと呼ばれる時期というのが、実はいちばん疲れていたりするのは何故なんだろう。と思う夏季休業明け、最初の更新です。
『MENSCHENARBEIT IM EISENWERKE』ドイツ語で『鉄工所で働く人たち』と題された写真集。22.7×18.3cm、光の階調、闇とのコントラストを繊細に描き出した写真がいずれも裁ち落としで1ページに1点・片面印刷で25点。あとは扉と、デザイン会社と印刷会社の社名をわずかに2行記載した後見返しがあるだけ。扉には「OSKAR FEDERER/EISENWERK  WITKOWITZ/MORAVSKA  OSTRAVA/p.f.1938」とあって、それだけ。あ。もうひとつ。写真1Pごとに透明フィルム-セルロースか?-が綴じ込まれていますが。それで全部。
ここから分かるのは、この写真集がチェコのモラビアにあったオスカー・フェデラー鉄工所が自社工場の労働者を被写体にして1938年に発行した写真集であり、デザインも印刷もプラハにあった会社が手掛けた、ということまで。写真家の名前がありません。あくまで企業PRのためにつくられたものだとすると、写真家の名前がないのはとりたてて不自然なことではありません。がしかし、この写真集を売ろうという小店店主にとって肝心なのは写真家の名前なのであります!どうするよ?と迷う間もなくケンサクです。本当に様々なことがたちまち分かります。最近起こる色々なことを見ていると、それが果たしてよいことなのか、はたまた人間をお粗末にするものなのか、と、ちょっと考えたりはするものの、さて、肝心の写真家の名前はVladimir Hipmanと云うことが分かりました。 ウラジーミル・ヒップマン…?と読めばよいのでしょうか、 高度な写真技術をもって製鉄所や鉄工所などで働く人たちの姿を捉えた写真を多く手掛けた写真家ですが、第二次世界大戦後のチェコで粛正にあい、残された仕事はわずか。彼の足跡は現在、写真および写真集のオークション相場に最も多く残されるようになりました。これもまたネット時代ならではですね。
今回入荷した『MENSCHENARBEIT IM EISENWERKE』は、ご覧の通り、どのカットを見てもとても力強く、がしかし静謐で、とても洗練されています。現在まで残されたヒップマンの写真集の中でも初期の - おそらくは出版物として流通したのではなく、企業PRツールとして消費されてしまったこともあったのだろうと思います - 存在自体がレアな作品集として非常に高く評価されているものです。

エピソードをもうひとつ。工場主であったオスカー・フェデラーはチェコの有力な実業家でしたが、ユダヤ系だったために1939年、つまり、当写真集発行の翌年にはナチスの手を逃れてカナダへ渡っています。写真集に姿を撮られた人たちにとっても、1938年は、まだ少しは穏やかに仕事のできる時代の最後、だったのかも知れません。ヒップマンとフェデラー。そしてそこで働く普通の人々。彼らを根こそぎ翻弄した時代の忘れ形見は、その静謐さゆえに惻々として胸に迫ってくるものがあります。

フェデラーがナチから遁走した1939年から遡ることわずかに15年。1924年のパリでは、11月から12月にかけて、バレエ・スエドワ(スウェーデン・バレエ団。バレエ・シュエドワとも呼ばれます)の公演が行われていました。今週の2点目は、その公演の公式パンフレット。中から1924年11月20日付の当日プログラム1葉、簡易プログラム1葉が出てきました。
バレエ・スエドワは、当時一世を風靡していたディアギレフのバレエ・リュスに関心をもっていたスウェーデンの大金持ちロルフ・ド・マレが、バレエ・リュスに対抗すべく1920年に設立したバレエ団。振付師にはジャン・ボルランを招きましたが、その設立には、バレエ・リュス設立初期に重用されながらディアギレフと決裂、バレエ・リュスとは距離を置いていたミハイル・フォーキンの勧めがあったと云われます。
バレエ・リュスとバレエ・スエドワ。ともにバレエの革新者であり前衛ですが、とくに「前衛=アヴァンギャルド」の側面では、バレエ・リュスを凌ぐ勢いがあったのが・バレエ・スエドワです。コクトー、ピカピア、レジェ、キリコなど錚々たる前衛アーティストが少なからず関わっています。パンフレットもまたそれを反映して、ご覧の通りまるで前衛芸術運動集団のチラシだとかプログラムだとかを寄せ集めたかのような印象です。正直、てんでバラバラ。「まさかここまで“遊び”で構成されているとは…」というのが市場で目にした時の第一印象でした。
1924年11月~12月のシーズンでは、副題を「黒人バレエ」-ディアギレフへのアンチ!?-とする「世界の創造」(サンドラール作、ミヨー作曲、レジェ美術)藤田嗣治が美術と衣裳を担当した「風変わりなコンクール」、ピエール=オクターヴ・フェルー作曲による「シンデレラ」キリコ美術、アルフレード・カゼッラ作曲による「壺」などがプログラムに組まれている他に、このバレエ団の演目のなかでも重要とされる「本日休演」の初演されました。「本日休演」はフランシス・ピカビア作、エリック・サティが音楽を担当、バレエの幕間にルネ・クレールの「幕間」というフィルムを上映するという先進的なもの。サティにとっては最後の作曲作品ともなりました。
挟み込まれてした当日パンフレットの末尾には、「LE  27 NOVEMBRE RELACHE」と「本日休演」上演告知も添えられています。
さて、この商品、実は簡易プログラムにもミソが。裏面に鉛筆による日本語の走り書きがあり、明らかにこの日、シャンゼリゼ劇場でバレエ・スエドワを見た日本人が持ち帰ったものであることを示しています。「本日初演」を見ていないとする残念ですが、例えば「幕合に菓子を売りに来る」だとか「三四階テスリ電飾つき」だとかいうメモからは、見るものすべてに心躍らせたに違いない我が同朋の姿が浮かんできて、我知らず感動を覚えます。

実はバレエ・スエドワのプログラム、現物を目にしたのはこれが初めて。これまでパリでもお目にかかったことがありません。珍しい。テキスト多数。しかも僅かながら日本人の痕跡あり。さて、どう評価したものか。明日昼の12時まで、店主は思案投げ首の予定だそうです。

■今週のおまけ。ピナ・バウシュの自筆署名(色紙)。1999年6月16日の日付から、来日時・びわ湖公演の際のもの。それにしても色紙にピナの署名とは。珍妙な趣きがございます。

言葉というものと人が誠実に向き合うのではなく、言葉を単に戦術的に組み立てるとこうなるのかという安倍氏による戦後70年談話が出されました。桜島では警戒度4度の下で川内原発は再稼働を始め、始めた途端にトラブルに見舞われています。今月30日には10万人規模の反安保デモが計画されています。今日まで目にしたさまざまな報道・言説のなかで、今週はひとつのブログとひとつのサイトを記しておきたいと思います。
「言語の劣化」に抵抗すること → http://chez-nous.typepad.jp/tanukinohirune/
戦後70年、私は謝りたい → http://apology.asia/about
いやまじめにわたしはあやまりたいとおもっているのですよいま。

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