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22/07/02 今年もタナバタのシーズン/新着品はアメリカで紹介された前衛とミシマと闘ったアングラについて

■先ずは来週の営業日程のお知らせから。毎年恒例の「明治古典会 七夕古書大入札会」が7月8日(金)より3日間にわたり開催されます。このため、7月9日(土)は店は臨時休業とさせていただきます。来週の店の営業日は7月5日(火)・7日(木)の両日それぞれ12時より19時とさせていただきます。ご不便をおかけいたしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

「明治古典会 七夕古書大入札会」について少しだけ。普段は古書組合加盟業者しか入れない入札会場を広く一般に公開し、ご購入を希望されるお客様のご希望にあわせ、古書業者が代理入札するというもの。
出品商品は右のサイトで全点公開されています。→ こちら!
最低入札価格10万円からというディープな古書の世界にご興味をお持ちの方は是非ご高覧下さい。 

■今週の新着品1点目は久しぶりのハイレッド・センター関係にして久保田成子関係のエフェメラ。
半年前に東京都現代美術館で開催された「久保田成子展 Viva Video!」の図録の表記に従えば「ハイレッド・センター:イヴェント集」。現品にもクレジットされていますが、1965年、久保田成子の編集により発行されたもので、図録によれば制作はジョージ・マチューナス
久保田成子の渡米は1964年。久保田がアーティストとして生きていこうと決心し、そのために選んだ土地がニューヨークであり、ニューヨークで久保田と、久保田とともに渡米した塩見允枝子とを温かく迎えたのが、フルクサスを率いるジョージ・マチューナスでした。

久保田は1963年に初めて「読売アンデパンダン」に作品を出品。同じ年、内科画廊で初個展を開くなど、前衛芸術に傾倒していった東京時代に親交を深めたと云われるハイレッド・センターの資料をニューヨークに持参。それらの資料をもとに、製作されたのがこの「イヴェント集」です。
前掲の図録によれば、こうした活動を通じて久保田は「東京とニューヨークの前衛の橋渡し役ともなった」と云います。
高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之=ハイ・レッド・センターの3人が「ハイレッド・センター」を結成したのも久保田が東京で活動を始めたのと同じ1963年。
「ハイレッド・センター:イヴェント集」はA2より多少小さいサイズのザラ紙を使い、両面印刷。片面には、1962年に始まる彼らの活動を、東京の中心部の地図の上に位置付けながら概要を記し、21件のイヴェントをポインティングしています。
裏側には、それぞれの活動を記録した写真30カットで構成されており、高松、赤瀬川、中西の他に、KAZAKURA(風倉匠)のクレジットが認められます。
さてこのエフェメラ、何のためにつくられ、どうつかわれたのか?という疑問が残ります。
こ点については、ハイレッド・センターを世界にひろめようとしたマチューナスが赤瀬川の「梱包」シリーズ作品に倣い、ボールを包む梱包作品ための紙としてつくったという説があります。但し、その製作年は1969年。いますぐ確認できるのは地図を印刷した片面のみ。
1969年に年記を差し替え片面のみ印刷した再版が存在するのか、1965年に制作された「イヴェント集」のデッドストックが使われたのか、いまのところよく分からないままです。
7月に入る前からの異様な暑さも悩ましいものですが、フルクサス関係の印刷物に常にまといつくこうしたモヤモヤもまたなかなか悩ましいものではあります。 

あくたまさひこ。芥正彦。この名前、どこかで聞いたような見たような、と云う方は、映画館かNetflixで最近「三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜」をご覧になったはず。1969年、東大駒場キャンパスで開催された討論会で、東大の代表する論客のひとりとして登場。みるものにとりわけ強い印象を残した人物です。
討論会は1969年5月のことでしたが、それから約二ヶ月後に芥が代表をつとめた劇団駒場による「都市文化祭公演 空間都市-第五砂漠のホモルーデンス」の公演台本とチラシ、翌70年の公演「形態都市」のプログラム(株式会社地下演劇社」のスタンプ有!)3点と「季刊新聞 形態都市報」創刊号が入荷しました。
「空間都市」は東京体育館、「形態都市」は四谷・離宮ハイムが会場。脚本は当然とはいえ、新聞についても芥の言説で埋め尽くされている感があります。
同じ東大駒場で野田秀樹が「夢の遊民社」を結成したのはいつかと調べてみると1976年のこと。芥の都市シリーズとはたった7年ほどしか開きがないのには不意をつかれました。
アンターグラウンド=カウンターカルチャーとサブカルチャーとの分水嶺はもしかしたら1970年代半ば頃?

■選挙が近づいてきました。小店店主はタナバタのため不在者投票に行ってきます。投票の参考になりそうな情報をいくつか。

これは具体的で実用的なヤシノミ作戦については「こちら」を。
軍事費を増額する政策について考えるには「こちら」を
こういう番組が増えてくれればいいのにと思った番組の内容は「こちら

考えるヒントは他にもいっぱい! そして、先ずは「投票に行こう!」ですよええほんとにもう。
 

22/06/25 百貨店の包装紙と百貨店前ストリートでの暗黒舞踏

■先週は週の後半から新潟出張~市場~カーゴ8台分仕分け~出品というスケジュールが続き、『少年ジャンプ』創刊号・美本1冊やSDガンダム未組立品美品の落札価格に仰天しつつ(お買い上げ下さいましたこご同業のみなさま有難うございました)、店はほぼ休業状態となりましたが、今週より通常営業の店に戻りました。今週・来週はHPの更新も復活です。
久しくご無沙汰続きだった戦前の包装紙がいくらかまとまって入荷いたしました。なかなか筋の良いラインナップです。
「銀座 丸ビル 伊東屋」茶色と白の各1枚と小さい紙袋1点、「東京神田 三省堂」1枚、「東京市日本橋区 丸善株式会社」1枚、「合弁会社冨山房本店」1枚、「神田駿河台下 文房堂」1枚、「三越」4種10枚と小さい紙袋1点、「伊勢丹」2種3枚、「東京銀座 松屋」1枚と小さい紙袋1点、「マツサカヤ」4種7枚、その他「宮内省御用達 鳩居堂」「舶来美術品雑貨商 フタバ商店」「麻布天現寺橋際 街書店」「アルバム・文房具 神田 鶴屋」「日本諸名士肖像写真 亜細亜風物写真 機山閣書店」など。「機山閣書店」の包装紙には扱い商品が記載されているのですが、これがなかなか興味深くて…といったあたりは店頭でご覧いただくとして、本日の画像に選んだのは日本橋にあった百貨店「白木屋」の包装紙。入荷したの包装紙4種5枚と小さい紙袋1点で画像は重複分1点をのぞいたもの。
包装紙はゼロ年代には扱い初めていたように思うのですが、長年みてきた包装紙でも個人的な好みで一二を争うのが幾何学的描線で構成された白木屋の包装紙(画像中にあるオレンジとブルーの2種類)です。
日本橋にあった百貨店・白木屋といえば、キモノの下に下着をつけていなかったばかりにビルから飛び降りることができなかった女性ちが焼死したというエピソードで知られますが、その時焼けた建物というのが、いまもモダニズム建築の代表作として知られる石本喜久治設計の近代ビル。包装紙のなかにも建物の外観が描かれていますが、そうした部分ではなく、むしろこの包装紙全体が、モダニズム建築の設計図にも似た、象徴的なデザインとなっています。
石本の設計による白木屋の竣工は第一期が1928(昭和3)年、第二期が1931(昭和6)年。そして、その印象的なファサードから炎と黒煙が噴き出すことになる火災は第二期竣工の翌1932年のこと。従って、この包装紙が使われていた期間は短ければ1年弱、長くてせいぜい3年ほどのことになります。 

設計を手掛けることになった石本喜久治は「分離派建築建築会」を立ち上げたモダン建築の旗手。私邸設計ではカーテンやカーペットのデザインまで手掛けた例もあり、或いはこの包装紙をデザインしたのも石本だったのかも知れません。少なくとも「モダニズムを代表する包装紙」のひとつである。と、小店店主、ひとりで力説しておりますがさて…。

今週入荷した包装紙の中には新宿伊勢丹のものもありましたが、戦後の高度成長期を迎えた時代の伊勢丹前の交差点から、いまABCマートのあたりまでの歩行者天国で繰り広げられた宮下省死の暗黒舞踏の写真がまとまって入荷しました
新宿で歩行者天国がスタートしたのが1970(昭和45)年。今回入荷した写真と一緒に出てきた公演のチラシ『宮下省死氏舞踊会 彗星遊び』が1972(昭和47)年。パフォーマンスが行われたのは1970年代初めの頃のものとみてよさそうです。
ちなみに、チラシの表記「舞踊会」は元ママ。「舞踏」としていないのがちょっと不思議ですが、宮下が、土方巽が命名した鼠派演踏鑑を旗揚げしたのが1975年だったことと関係しているのかも知れません。
実のところ、小店店主にとって、もっとも難解でなかなか理解できないのが暗黒舞踏という分野。この写真を買う気になったのは、宮下の動きと表情を濃やかにすくい上げているのはもちろんのこと、70年代初頭の新宿という劇的な、非日常の都市の空気を細部まで写しとっているようにみえたからでした。
歩行者天国の道沿いにはまだ三越があり、ビル袖にはいまはもうない鈴屋の看板が掲げられ、休日の若者やカップル、家族連れがパフォーマンスを取り囲むその風景は、小店店主がまだ小学生だった頃にながめていた新宿の姿そのものであり、或いはこの群衆のなかに50年前の自分と家族が写っているのではないかという気がしてきます。
宮下の衣裳から、2回のパフォーマンスを撮影した2Lサイズのモノクロ写真124枚に、1972年に千代田会館で開催された「宮下省死氏舞踊会 彗星遊び」の色違いのちらし4枚、チケット1枚をつけた一括での販売を予定しております(チケットの雑駁なコラージュに時代を感じます)。
尚、「舞踊会」には「吹奏 阿部薫」とのクレジットあり。もちろんあの伝説のサックスプレイヤーその人。

■今週の斜め読みから。選挙の前に考えておきましょう。
賃金と物価について端的に → こちらへ
新しい精神をもって世界を変えたまえ! → こちらへ。

 

22/06/10 チャップリン!!! コティ!? 壽屋ことサントリー!

■先ずはお伝えしておくべきお知らせから。来週地方出張の関係で店の営業は6月14日(火)の12時~17時のみとなります。19日からの週はまた通常の火・木・土曜日のそれぞれ12時~19時の営業に戻ります。ご不便をおかけいたしますが、ご容赦下さい。そして来週のご来店の際には、営業日にご注意いただければ幸甚に存じます。何卒よろしくお願い申し上げます。

入口平台の展示を変更しました。変化朝顔をモチーフとした明治~大正時代の木版画で初夏の装いに。他にも在庫がありますのでご覧になりたい方はお声をおかけ下さい。

■市場でのこと。入札用の封筒には出品物のタイトルとして「小澤征爾写真」とあり、確かに署名入りの小澤征爾の写真がクリアボックスに入っているので、まあ自分の店とは関係ない筋なんだろうなあと思いながら、しかしエフェメラなので中身を確認することにして箱を開いてみたらびっくり! だった2点が今週最初の画像。
入札用の封筒には、「小澤征爾写真」と書くより「チャールズ・チャップリン 署名入り写真」と書いた方が入札しようという業者は増えるだろうし、増えれば自ずと落札価格はより高くなるだろうと思うのに、こういう手抜きというか雑なというか投げやりなというのか、いずれにしても考えることや調べることにほとんど興味のない古本屋さんたちの仕事がもたらす見落としの部分が、小店のような後発でアテにできるお客さんももたず結局いつもお金なんて全然ない古本屋を生き延びさせてくれてるんですよね的な感慨にふけるようになったらもう店仕舞いのことを考えるべきなんだよなあと思うことしきりの昨今 (ここまで読んだあなた! 偉い!!!)。
チャップリンの署名入りブロマイドが入荷いたしました。
ブルーインクの万年筆で書かれた署名にはやや擦れが認められますが一息で書いたような勢いがあり、また、他のサインと比べて筆跡にも全く問題なく、自筆と判断。氏名の上の2文字は辛うじて「Yours sincerely」のように読めます。

写真のサイズは24×16cmとブロマイドとしては大判
画像でご覧の通りまだ年若い頃の写真で、『チャップリン自伝』に載っている写真と対照したところ、「ミルドレット・ハリスと新婚時代の私」の写真と酷似していることが分かります。ハリスとの結婚生活は短く、1918年から1920年まで。従ってこの署名入りブロマイドも1920年前後のものとみられます。
先日、NHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」の「ヒトラーvsチャップリン 終わりなき闘い」をみました。「映画史の中で最も重要な人物のひとりと考えられている」。Wikipediaに書かれたこの1行たどりつくまでには、チャップリンの信念に基づく数々の闘いがあったことが描かれていて圧巻でした。見直しました。単なる喜劇王でくくれるような人ではありません。
20世紀映画史の重要人物については、かつてエイゼンシュテインの衣笠貞之助宛てメッセージを扱ったことがありますが、正面から臨めば厳しい闘いになっていたと思われる今回物件、入手が叶ったのはひとえに封筒に「小澤征爾写真」と書かれていたお陰ではないかと思います。有難う小澤さん。

チャップリンの写真に並べた紳士の写真もまた、同じ「小澤征爾写真」のクリアボックスに収められていたもので、香水で有名なコティ社の創業者フランソワ・コティの署名入りの写真。1933年9月13日の日付入りですが、この年、コティは上院議員選挙で当選したものの、直後に選挙違反で失格に。また、離婚がらみの紛争を抱えるなどゴタゴタが続いていた挙句、この翌年には肺炎で亡くなります。チャップリンより15年先に生まれたコティは右翼、反ユダヤ、親ファシズムとチャップリンとはおよそ対照的な人物だったようで、右も左も時代も分野も何の脈絡もなくいっしょくたにして市場に任せられてしまうというのも古本屋の仕事の面白さではありますが。
ちなみに、同じ口では他にアルフレッド・コルトーのメッセージ入りの名刺も。
もうひとつちなみに言い添えておくと、誰も気づかないのではないかと思っていたこの一口、落札は中札でした。どんなにヒントが少ないものでも、下札で軽々とは落とさせてくれないのもまた市場ならではのことであると、同業者への信頼をこめて云っておきたいと思います。

■あのラリックのボトルで有名なコティの創業者が政治的活動に積極的で、なおかつファシズムを支持していたなんてことは、今回偶さか上の写真を入手して調べて初めて知ったことですが、こちらもまた、いまから半日ほど前に政治がらみで刑事告発された企業にかかわる新着品。
サントリーさんがまだ壽屋と云っていた時代、戦争が終わってようやく復刊した酒販店向けPR誌『壽屋商報 発展』の復刊第1号から19号までの揃い発行年度でいうと1953年から1956年(昭和28年から31年)の発行分です。
酒販店をターゲットとしたPR誌だけあって、小売店へのノウハウ提供や小売店関係者を巻き込んだ企画が多いのが特徴。「これからの店員教育」「御意見拝聴」や拡販をめぐる座談会など、店舗関係者からの意見・情報の吸い上げが随所にみられ、特に「ここにこの店」と題し各地の繁盛店の店頭写真を店長・店員のコメントとともに商会するグラビア特集は時代を感じさせて面白い記事になっています。毎号著名人が登場する巻頭グラビア「愛飲家スナップ」(力道山も!)「酒食料品店の主婦・婦人店主は語る」(座談会)、「店員日記」入選作発表、トリスフォトコンテスト連載小説「愛の飾窓」(!)、店づくり・改造指南(文化住宅地の店舗改造の実例、スタンドバーのデザイン、川喜多煉七郎執筆記事等)、東京のバーブーム等流行記事など。
後のサントリーに見られる文化的なアプローチはまだ表立っておらず、あくまで実利を追求する内容ではあるものの、情報量としてはかなりのもの。また、挟み込みの販促用のチラシ1枚や、各号裏表紙のサントリーの広告には、サントリーらしいセンスがよく表れいています。
さすがはサントリーというべきPR誌、この年代のものがまとまって出てくるのは稀。

■投資話しなどまでもちだされて日本ただいま崖っぷち …… という状況をうまく言葉にしている人たちを下記に。
進め一億火の車だ!
21世紀・新しい敗戦に向けた標語は「こちら」から。
新しい敗戦へのアプローチについては「こちら」から。
で。いま世界は日本を注視しているそうでその内容というのが「こちら」。
まさしく「先進」国 としての栄光というべきか……
 

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