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21/02/13 ダンボールとエッフェル塔

■コロナこのかた、店でも自宅でも、ゴミ収集所に積みあがるダンボール箱の量を見るにつけ、梱包資材業界の活況を思うこの1年。だから、というわけではありませんが、『パッキングケース』なる冊子に目がとまりました。
表紙と本文ページ内のこの過剰なグラフィック表現!
映画『伯林大都会交響楽』のパンフレットに駆使されたフォト・モンタージュや雑誌『犯罪科学』誌上、板垣鷹穂・堀野正雄の名コンビが展開したグラフ・モンタージュにも通じるアヴァンギャルドな表現に驚きました。
また、枡形に近い判型は、1920~30年代に発行されたロシア絵本を思わせます。ロシア絵本のなかでも実験的な写真絵本を下敷きに、花王がつくったPR出版物『コレハ何デセウ』のことなども思い出したり。
これは"日本で初めて段ボール事業を創始"した「聯合紙器株式会社(現 レンゴー)」が発行した企業並びに製品案内の小冊子で、「工場所在地」に昭和10(1935)年開設の「京城」が記載されていることから、1930年代に発行されたものと見られます。ちなみに映画「伯林~」の公開が1927年、『犯罪科学』での板垣・堀野のグラフ・モンタージュは1931~32年にかけてのことでした。
さて、『パッキングケース』ですが、「産業躍進!輸出振興!は我国現下の重要問題」として、木箱より軽いので運賃を軽減、容積を減らして内容量を1割以上増量するとともに置場を節約、内容物の抜き取りを防止し破損も減少、定量販売に適して再包装の必要なし…等々、ダンボールを使った梱包・包装のもつ時代にマッチした利点をひとつひとつ挙げていきます。
縷々述べられる木箱と比べた時のメリットには、これまで気付かずにいた点も多く、いまや日常品となったダンボールがいかに便利で優秀なものだったか思わず見直すことになりました。
それはさておき。
なるほど、1930年代当時、大量消費社会の到来、輸出入をはじめとする物流の拡大を背景に、包装や梱包は先端技術産業のひとつとなっていたとしても不思議はなく、尖端産業には常に優れた表現=デザインがつきものだというのはご存じの通り。見れば日魯の冷凍鮭、紀州みかん、青森りんごから福助足袋、ニッケ、仁丹体温計、ビスコ、マツダランプ、果てはフランス向蟹缶詰ケース、米国向陶磁器用ケースまで、なんでも・どこまでも・安心して送れる技術と、いつ・どこに出しても恥ずかしくないデザインと堅牢さをもつダンボールは、時代の尖端へと踊り出ていたようです。 

聯合紙器は現在レンゴーとして着実に発展を遂げているのみならず、SDGsが最重要視される21世紀、再び時代の先端へと飛び出す用意はできている様子。1909年聯合紙器創業には、今年の大河ドラマの主人公・渋沢栄一が関わっていたとも。
『パッキングケース』というこの冊子、実は極めて2021年的なのかも知れません。

今週2点目は小店としては非常に珍しく現代ものからのご紹介。現代ものといってもエッフェル塔100年にあたる1989年のポスター6種10余点。図版はそのうちの1点で、建築写真家によるエッフェル塔のフォト・モンタージュで1点は写真家の署名入りです。
エッフェル塔の完成は1889年のこと。聯合紙器の創業はエッフェル塔完成から丁度20年後だったことになります。鉄と紙という対照的な素材ですが、フォト・モンタージュにしてみると実は構造的にとても似ていることが分かります。
左斜め上の画像も今回入荷したエッフェル塔のポスターであちらは少し小さいサイズ。

■2021年2月12日(金)、日本に初めてコロナウイルスのワクチンが到着しました。ファイザー社製、約40万回分だとの報道です。
少しずつ不穏な空気が色濃くなりはじめてはいたものの、去年の今頃はまだ、海外が数年単位で遠ざかることになるとは予想もしていなかったことを思い出します。
ゼロ年代、パリには毎年のように出かけながら、いまだエッフェル塔には登ったことがありません。塔上からパリを一望に見下ろすことができる日は、さて、いつのことになるのでしょう。
東京の感染者数の急激な減少にトリックは一切ないのか。指針となるものがどこにも見当たらない日本では、自衛しかないなと思います。みなさまどうかくれぐれもご用心を!
 

 

21/02/06 河原崎晃洞デザインのシンプルで瀟洒な木版図案をバラ売りで !

■本日これから発送作業を数件片付ける必要が生じ、とりあえず新着品は1点のみ。可能であれば後日追加したいところではありますが。どうなりますか。ともかくも。
昭和2(1927)年・内田美術書肆発行の河原崎晃洞『新選図案集』所収の木版刷図案をバラ売りいたします。
河原崎の図案は小店お客様のお好みに合わないのか、不思議なほど売るのに苦労することが多く、ここのところ全く手をださないでいました。師匠にあたると云う古谷紅麟に比べると具象的だし、古典文様を下敷きにしたデザインにしても師匠の師匠にあたる神坂雪佳と比べると突きつめ方が弱いような気もするし、昭和初期の図案としては古めかしく見えかねない …… と、師匠も師匠の師匠もあまりに偉才ではあるにせよ、河原崎さんには何かしら食い足りないところがあるように感じていたのも事実です。
がしかし! その見方が一面的なものに過ぎなかったと大いに反省させられたのがこの図案集でした。
市場で目にした段階ですでに、経本仕立ての折部が断裂、ページによっては汚れや傷みなどダメージもあり、元の姿で売るのは厳しいものの、どうしても捨て置く気になれない図案が多く、活かせる部分をバラして売る腹で落札したものです。
多くは単色、多くとも2色刷というストイックな条件で、枝葉を払ってシンプルにまとめられた和のモチーフが、和製アール・ヌーヴォーの趣に富む完成度の高い作品に仕上げられています。デザインによっては例えば山名文夫や小村雪岱を思わせるものも。もちろん、全て木版刷。
こちらは早速明日より店頭で販売いたします。

今週の斜め読みから。JOCのトップに座る人の論外の発言と小気味よい海外からの批判は周知の通り。なので、今週はこれだけ。とりあえず。
https://toyokeizai.net/articles/-/409437?display=b&fbclid=IwAR3lEItAOZcl_llGniK-gADVrkg0rr-4tfJW9GNN_R75iRZoz43zcDwzHKU


 

 

 

21/01/30 発見 ! 掛札功 ! 出現 ! ヤングセブン !

■「古書目録福袋」に同封してお送りした小店目録のご注文は本日1月30日(土)で締切りとさせていただきます。抽選結果につきましては、1月30日閉店後より2月2日(火)頃までに順次ご連絡させていただきます。
ご注文の重複により、残念ですがご希望に添えないケースもあり大変心苦しく存じますが、どうかご理解を賜りますようお詫びかたがたお願い申し上げます。
しかし何よりも先ず、御礼を申し上げねばなりません。コロナ禍という状況下、一種、リアリティに欠けるあの目録にご注文をお寄せ下さいましたみなさま、目録をご高覧下さったみなさま、そして お問合せ、ご検討下さいましたみなさまに、心より御礼申し上げる次第です。本当に有難うございました。お陰様で今年の滑り出しもまずまずまずです。
改めまして、2021年も何卒よろしくお願い申し上げます。

エフェメラ専門店を標榜するからには、市場に絵葉書帖が出品されていれば必ずパラパラとめくって内容を確認します。小店向きだと思えば仔細に点検しながら頭のなかで入札価格を計算しはじめることになりますが、ここのところ、そこまで行く絵葉書帖はなかなか現れませんでした。これもまた? と期待しないで1冊で出品されている絵葉書帖を開いて見ると、洒落たセンスの肉筆画の絵葉書が結構あって、もう少しよく見てみることにしました。
ミュシャの模写かと見紛う水彩画の絵葉書が1枚、思わず宛名の側を確認すると、差出人の名前は「掛札功」。慌てて同じようにちょっとバタくさい絵葉書をひっくり返すと「掛札」から出された肉筆絵葉書が何枚もあり、しかもまたその絵がうまい! 選んだ絵葉書のセンスも申し分ない! というので久しぶりに絵葉書に入札。ここのところ絵葉書に対する勘がすっかり鈍っていて落札が危ぶまれましたが、上札で無事落札。二番札とは数十円差の僅差だったと、改札直後にその僅差で負けたご本人から聞かされて胸をなでおろしました。掛札さん、どうやら私のことを気にかけてくれたようです。
「掛札功」という人のことを知ったのは、ゼロ年代の中頃だったか、以前に何度かお手紙のやりとりのあった研究者の方から、久しぶりにお送りいただいた研究論文を通じてのことでした。
当時はいくらググッてみたところで出てこなかった掛札功ですが、いまググってみると-

1886年茨城県~1953年東京/写真芸術社の結成に参加する。薬剤師として資生堂、聖路加病院などに勤務。1923年著書『写真引伸法』(写真芸術社)刊行。1949年日本写真会会長に就任。

ということが簡単に分かる2021年です。こういう時代だからこそ、小店店主も落札してきたその日のうちにまるで旧知のように説明が書けるわけですが。それはともかく。掛札は絵画ではなく写真の人。写真芸術社で資生堂・福原信三と肩を並べたられたのも、このセンスあってのことだったんだろうと感心しきりですが、いやしかし。いまは掛札功の絵葉書です。
宛先は「木村晴三」。戦前~戦中に挿絵画家の仕事をしていた人で、消印から見て明治39~42(1906~1909)年頃のもの。その当時、掛札は20歳前後で千葉医専に、木村は京都の第三高等に籍を置いていた模様。手紙の調子から、二人は幼馴染か学友か、同世代の友人関係だったことが伺えます。
掛札からのハガキには「東京名物其一 ハイカラ女学生 四〇六高地式ニ紫ノ袴 オリーブ色ノ絹傘……」とあったり、「画きたくばお笑い草にご覧に入れ」「オキル食フの外人は何もなし得ぬ」と良くも悪くも云ってしまえば健やかな青年時代を過ごしていたことを物語る内容。また、掛札の写真のモチーフとして知られる「庭球」の話も散見されます。 

掛札の写真、ではなく絵葉書、ということで、評価の難しいところではありますが、明治期の洒脱な肉筆絵葉書に少しだけ掛札の名前の分をのせて値付けする予定。
実は「木村晴三」の肉親(おそらく父親)にモースの指導で大森貝塚の写生にも携わった博物画の木村静山が居り、肉筆画のなかには挿絵画家・晴三のもあれば静山のものもあり(!)、画家の銘らしきものの入った静山宛てのものも多数あり……ということで、絵葉書帖1冊分・全98枚とは明日からしばらく付き合ってみようかと思っております。モダンボーイ掛札については、掛札の分だけでまとめる心積もりですが、店に出せるまでいま少しお待ちいただければ幸いです。
ちなみに、画像中の上2段までが掛札の肉筆画。なかでも上右端の魚の絵は「小生の傑作」とご本人が云ってます。確かにうまい!

■先週に続いて戦前と戦後が混在する新着品ですが、こちらは久しぶりの南画廊の図録、中でも珍しい『ヤング・セブン展』が入荷しました。1964(昭和39)年の1月30日、つまり、いまから丁度57年前の今日始まった展覧会の図録です。
タイトル通り、当時新進気鋭の現代美術の作家で東野芳明の序文によれば昭和二桁生まれだという7人-荒川修作、三木多聞、工藤哲巳、菊畑茂久馬、中西夏之、岡本信治郎、立石紘一-を取り上げた展覧会は、こちらもいまではググればたちまち回答が示される戦後美術史上のひとつのターニングポイントに位置付けられるもの。
「白」のイメージが強く、表紙には端正なタイポグラフィを配置した作例の多い南画廊の図録としてはかなり珍しいこの表紙も、「ヤング」を意識してのものか異色です。
小店としては15年ぶりくらいの、実に久々の再入荷品はしかし、某美大の先生が大切にとっておられたらしく一度に3冊の入荷とあって嬉しいような切ないような ……。

■今週の斜め読みから。
さすがにそれはないだろうと多くの方も感じておられるようですが。しかしよりによって生活保護を持ち出すとは…
https://news.yahoo.co.jp/articles/84d2856d97859ce2d76fc10e0e893f00d29342e4
どんな集団でも、トップにはトップとして相応しい能力というものがあると思うのですが、この人の場合、政治=言葉というスタート地点からして心細いわけで。
https://withnews.jp/article/f0210124001qq000000000000000W0fk10101qq000022442A?fbclid=IwAR2Je6wNmwLeiv_0Ukaj3ko3vlqThF1ht_qKxRGy6deD5FhPjeHWYqAtqYs
そもそも、かれこれ1年経ってもこの状況というのはもはやつける薬もないのだろうと思うばかり。
https://mobile.twitter.com/koichi_kawakami/status/1348364970807869441?fbclid=IwAR0aX0weL00_C_-r6w_WMREeepA7u-u2UGST7zfWLw7j6ggmBXLiHJljnOU
ニッポン重篤。

 

 

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