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20/10/02 ユーゲント・シュティールのショーケース ! クリムトのプレートも!!!


■先ずは来週の営業のご案内です。来週は10月5日(月)から6日(火)にかけて「資料会大市」が開催されます。これに伴い、来週、店の営業は10月8日(木)と10日(土)の2日間とさせていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご承知おき下さいますようお願い申し上げます。 

新着品の1点目はドイツ語圏のアール・ヌーヴォー = ユーゲント・シュテールを代表するデザイン画集のひとつ『ALLEGORIEN - Originalentwurfe (寓話 - オリジナル・デザイン)』
1896~1898年頃にかけて順次発行されたプレート集で、入荷したのはプレートナンバー1から120までのフルセットのうち、プレート4点欠の116葉オリジナルのポートフォリオに扉と序文、延々4ページにわたる目次とともに収められています
「アレゴリエン=寓話」という共通タイトルの下、「愛、音楽、ワイン、歌と踊り」「芸術と科学」「スポーツ」等のテーマを設定。毎回画家を選定の上、オリジナル作品を書き下ろさせ、プレートのスタイルで複製し数年にわたって随時刊行したものとみられます。

(当書についてはこれまでのところまとまった書誌情報にたどり着けておらず、当欄の記述は断片的な情報をつなぎあわせた内容となっています。このため、推測にとどまる要素を含んでおり、例えば刊行年については、プレート毎に拾えた情報から見て、これまでに把握できた最大幅をとっていますが、多少前後に広がる可能性があります。また、海外のサイトのなかには「12束」という記述も出てくることから、10葉ずつ12回のシリーズ発行された可能性がありますが、いまのところ断言は差し控えます。いずれにしてもこれだけのプレート数がまとまってケット=売買の場に出てくることは稀なことだと思われます。)

起用された画家にはまだ年若いカール・オットー・チェシュカやハインリッヒ・レフラーが居て、コロマン・モザー(プレート多数!)の名前があり、そして何と云ってもグスタフ・クリムトの名があって、さながらユーゲント・シュティールのショーケースの様相。図版はクリムトによる絵画的なものからレフラーのグラフィックデザインよりの作品まで、ヴァリエーションにもこと欠きません。
印刷も単色、フルカラー、金彩など多彩なら、技法もコロタイプや特色刷りからリトグラフまで実に多様。各作家のオリジナル作品を忠実に複製再現するべく心を砕き、仕事を惜しまなかったさまがうかがえます。
116枚を繰っていく醍醐味は捨てがたいものがありますが、当初よりプレート欠があるため、バラ売りの方向で明日以降、検討の予定。
ちなみに今回の更新で2点目に掲示している図版はクリムトのプレート3葉。欠番プレート4枚の内の1葉がクリムトのプレートで、本来なら4葉あるべきものでした。
こちらの商品も実は福富太郎のコレクションで、おそらく額装してどこかで使ったのか楽しんだのか、欠葉は鍾愛の証とも思われます。もちろん悔やまれることではありますが、プレート集の楽しみ方としてはむしろ正しいと云うべきなのかも知れません。

■こちらは店内の根雪からの発掘品。商品のタグと広告等切り抜きを集めたスクラップブックですが、特徴は何といってもアタマから尻尾の先まで"紳士用帽子と紳士用帽子に相応しい広告・プロモーションに関係するものだけ"というところにあります。 

今回改めて仔細に眺めていて、つい5年ほど前まで営業していた新潟の帽子専門店「ダイマル帽子店」に関係する人の旧蔵品だと気付きました。実用性満点のスクラップ帖だったものとみられます。
なかでも面白いのはタグなどトレードマークに関する紙片。当初、一見海外のトレードマークにしか見えず見落としていたのですが、こまかく読み始めてみるとローマ字表記の「帝国ハット」のヴァリエーションだったり「麒麟ブランド」「向い鷹」「飛龍」だったり、そのほとんどが国産品のそれ。
また、広告は日本の百貨店各店や丸善などの紳士用帽子の商品広告と、同じく紳士用帽子セール用の広告とで占められています。
戦前から終戦直後、都市の雑踏を写した写真を見ると男性の9割以上が帽子をかぶっていたりして帽子着用率の高さには毎度驚かされますが、男性のおしゃれに欠かせないアイテムであったこと、広告やディスプレイなど人の目につくものについてはとくに、おしゃれアイテム(う。死語だ…)に相応しいハイセンスを目指していたことがよく分かると同時に、努力のほどが伺えるスクラップブックになっています。
つまらないお話しですが、今回初めて気付いたことがもうひとつ。
インスタグラムの「お気に入り」は 21世紀のスクラップブックだ !

今週の斜め読みから。ってか、言語道断だという自覚がない人に政治を任せていることがそもそも言語道断だと痛感した一週間でした。
問題はもちろん あれですね。
https://www.facebook.com/shigenori.kanehira/posts/3340451459370121
https://www.tokyo-np.co.jp/article/59110
おまけ、ではなくまじめに。この言いぐさの酷さもまた…。
https://lite-ra.com/2020/09/post-5655.html

 





20/09/26 双眼写真の本格派ビュアー/川久保玲 衣裳の仕事

■今週金曜日は久しぶりに市場の楽しさを思い出しました。何と云っても出品の多い市場には、やっぱり面白いものが混じっているものです。
がしかし、さすがにここまで楽しいものが出てくることはあまりないぞ。いや二度とないかも。というのがこちらのいかにもアンティークな木製品。ちょうど小店店主一人分くらいの大きさ、いわゆる「起きて半畳寝て一畳」より少し小さいかな。というくらいの物体。人としてはかなり小さいけれどもブツとしては存在感充分といったところですね。
さて、これは一体何かと云えば、ステレオスコープ=双眼写真を見るための装置です。双眼写真がはやった19世紀末~20世紀ごく初期までのものと見られます。
ステレオスコープのビュアーと云えば、溶接作業の時に使うような手持ちのゴーグルのようなスタイルが一般的で、これほど大掛かりで本格的なボックススタイルのビュアーを見たのは初めてです。しかも、これがかなり良く出来ている。
装置正面の双眼レンズの部分から覗いて見る方式なのですが、箱の左右側面についているダイヤルをまわすと、箱の内部に装着された双眼写真が次々入れ替わっていくというもの。縦方向に動くベルトコンベア状の仕組みに、一定間隔でクリップ付きの枠が設けられており、ここに写真を装着していて巻き戻しも可能。箱の深さから見て、双眼写真がざっと100枚くらいは仕込まれているのではないかと思います。
正面の覗き眼鏡の上のレンズ、背面の素通しのガラス(可動式)、内部に装着する可動式の鏡(写真撮影時にはとりはずしていました)で光を調節、覗き眼鏡のピントをやはり箱の側面にあるダイヤルをまわして調節しながら覗いていると、眼鏡の向こうで立体写真が立ち上がってくるという趣向。
さて、この装置は一体いつ、どこでつくられ、どのうよに使われていたものなのか…?
新しい技術系の装置には、たいてい製造所なり販売代理店なり、何かしらネームプレート様のものがつきものですが、当品については一切手掛かりがありません。深夜0時をまわって検索を続けるも類似品発見に至らず。卓上設置可能なサイズで当品と同じような箱型のもの(Taxiphote)は見つかるのですが、そちらは技術的にもっと進んでいるようです。 

改めて当品について考えてみると、機能に必要なスペースだけでつくれば、おそらく現状の二分の一~三分の一の高さで済みそうなのに、この"いらぬ大きさ"、良質な材木、家具調のフォルムなど、見た目に対する何かしらのこだわりが感じられます。趣味が嵩じた人がオリジナルでつくらせたか、興行用につくらせたか、そのいずれかではないかと。で、どちらかと云えば、後者の可能性が高いのではないかと推測しているのですがさて…???
ちなみに旧蔵者はキャバレー王にして絵画蒐集でも知られた福富太郎。旧邸に一室だけあった洋間にドールハウスと並んで置かれていたもので、これだけは対外的な活動とは完全に関係を断った極私的趣味だったのではないかと窓口となった同業の方から聞きました。
ますます世界に1台かもと思いたくなるこの物件、店に置いている間は福富太郎さんにあやかりたいものです。
あ! 画像は入札会が開催された東京古書組合で撮影。市場が終わって商品、什器もろもろきれいに片付けた会場です。台車は非売品(!)。この場では小さく見えると思いますが、これが店に届いた途端に ふえるわかめよろしく …… ということは一晩だけ忘れていようと思います。

アンダーグラウンド演劇公演については以前から関心を持っていましたが、ポスターの入荷は今回が初めて。全部で4種の入荷ですが、狙いは1点『アンダーグラウンド演劇公演No.9 蠍座プロデュースNo.8 一時間の恋』。1969年に上演されたこの芝居で、衣裳を担当したのは当時スタイリストとして活動していた川久保玲。奇しくもコム・デ・ギャルソンのブランド立ち上げと同じ年に手掛けた舞台の仕事です。ポスターはシルクスクリーン刷でデザインは小島武。
実は最近の店内発掘作業により、この公演のチラシを発見した…はずなのですが、それをどこにやったのか一向に思い出せず、明日はまたごく最近一度は片付けたはずのところをひっくりかえす日月堂の堂々巡り。やれやれ。何とかしたいものであります。

■今週の斜め読みから。
スガノミクスの一側面。
https://www.news-postseven.com/archives/20200918_1596267.html?DETAIL&fbclid=IwAR3mRWhTtbLqLSEwP84_p3oEMFnOKBeSjn9uvqp5W282HnNggNh4hKt9rrk
タケナカヘーゾーのタクラミ。
https://mobile.twitter.com/NTUY_uncle_bot/status/1308376741635710981?fbclid=IwAR390XBOlZgdCtJX2ondg96VQmE0hhY_BEDEXw989gDidWYINk2dyVCingo
「自助共助公助」ノ読ミ方。
https://mobile.twitter.com/NTUY_uncle_bot/status/1308376741635710981?fbclid=IwAR390XBOlZgdCtJX2ondg96VQmE0hhY_BEDEXw989gDidWYINk2dyVCingo
どこに絆の生まれるものか…。
 

 

20/09/19 意味あり! 1929年イギリス総選挙とキク ヤマタの献呈署名本

■我らがニッポンの新たなトップと党四役。Facebookのタイムラインにあがってきた平均年齢70歳超えというその面々の写真に書き込まれた「5爺」のコメントには思わず笑ってしまいましたが、モリカケサクラはそのままに、鳴り物入りの「IT政策担当」大臣は元電通で前政権下では広報担当として女性政治家をはばあ呼ばわりして恥じるところのない御仁だというし、八紘一宇の学習成果(!?)を嬉々として国会で発表した女史は「副」とはいえ役付きとなるそうだし、その他あちらからこちらまでいつかどこかでみたような人たち、しかもほとんど覇気もない面々が担う「自助共助公助」社会のこれからを思うにつけ日々暗澹として穴倉にでも引き込まれる思い。しかしそれでも参戦し続ている市場はと云えば、こちらはこちらでかつてないほどカラッカラに干上がっており、いよいよ進退窮まりつつある小店ですが、こういう時、思いがけず救いの手を差し伸べてくれるのが買ったままバックヤードに押し込め、或いは自宅に放置していた在庫品だったりいたしまして、そうした品々を前に ああ何と不憫なことをしていたことよ赦しておくれと頭を垂れているこの数週間、今週の新着品はこうした発掘品からのチョイスであります。
1点目はそれほどサイズが大きくないので、小店の商品を委託で置かせて下さっているアンティークショップにお預けするつもりでデザインだけ見て買っておいたイギリスのポスターです。
いざ値付けという段になってとりあえず相場を調べておこうとケンサクし始めてみると、多くが1929年のイギリスの総選挙の時のものであること、この時の選挙については歴史的にも重要な意味をもっていることが分かりました。やはりPCにはお伺いしてみるべきですね。

さらに。これまで真正面から見ていたポスターを、見方を変えて左斜め下 - 実際、左下角の余白部に刊行者名が記載されています - から眺めてみると、「The Liberal Publication Department」が10点、「The National Union Conservative」が8点と、自由党と保守党の2党に集約されるものであることも分かりました。
1929年のイギリスの総選挙は、前年の選挙法改正で定められた男女平等選挙権のもとでの初の選挙だと云うではありませんか! この時の選挙で初めて、男性と同じ21歳以上のすべての女性に選挙権が与えられたのだそうです。
ポスターを見ると、とくに自由党=リベラルのポスターデザインに女性や暮らしに関係するモチーフが使われているものが多く、なるほどと納得。
選挙結果としては、今回街頭するポスターがなかった労働党が議席数で第一党となり労働単独内閣が成立、党首マクドナルドが再選されるも、得票率では保守党が労働党を上回ったため、労働党は不安定な議会運運営を余儀なくされたようです。
その保守党=コンサバティブのポスターで盛んに呼びかけられているのがsocialism=社会主義の排除。で、このsotialismと云う言葉を多用しているのが自由党=リベラル陣営。第一党となった労働党=Labourの選挙戦略がどのようなものだったのか分からず、はっきりしたことは云えませんが、保守党の反社会主義選挙キャンペーンが奏功したものか、選挙の結果、自由党はこの時3番手にとどまります。以後、自由党は衰退を止められず、戦後今日まで続く保守党・労働党の二大政党制はこの時に始まったということです。こうしてみると、確かに1929年のイギリス総選挙は歴史的に重要な意味をもっており、このポスターの意味も(とくにまとまった数量があるということで)変わってきてしまいました。
委託に出すのもバラ売りするのもとりあえずやめて、何故か漫画タッチのイラストを使ったものが多い保守党のポスターと社会主義を謳いターゲットに明確に女性を置いていた自由党のポスター、合計18点一括での販売となります。サイズは全て76.5×50.5cm前後、小店キャビネトの一番大きな引き出しに充分収まるサイズです。
 

■藤田嗣治の挿絵本入で知られる『Seller Image
Les huit renommées』など、日本を文化に関係する書籍を数多くフランスの代表的な出版社からフランス語で発表した日本人女性・キク ヤマタ=Kikou Yamata。1920年代、いくら当時の世界都市だとは云えパリで著書をものした日本女性などごくごく少ないはずで、評伝の4~5冊、軽ぅ~く出ているだろうと思っていたのが大間違い。キク ヤマタの生涯について詳細が分かるようになったのはここ数年のことではないかと思います。
今週の発掘品2点目は、1942年に何故かハノイで発行されたキク ヤマタの著書『Au pays de la Reine - Etude sur la civilisation japonais et les femmes(女王の国で-日本文化と女性の研究)』。ムッシュ・スズキ宛ての署名と識語・日付等が山田の自筆で扉に添えられてます。
日本人の父とフランス人の母との間に生まれ、リヨンと東京で育ちながらフランス語を母語とし、父の没落により米国AP通信社東京支局長秘書として働いた後、戦間期のパリに戻ると高名なサロンの常連となりヴァレリー等とも親しく交流、その著書をレニエやモープランが書評にとり上げたり一躍脚光を浴びましたが、満州事変以降、フランスで立場を苦しくしていたところ国際文化振興会からの招待をうけ 1939(昭和14)年、欧州での第二次世界大戦突入直前に日本に向けて脱出。結婚後は夫婦で中立国スイスの国籍をもっていたキク夫妻は太平洋戦争開戦から占領期まで約10年を鎌倉で暮らしたと云います。
この間に一度、夫妻は特高に検挙されています。検挙は1943(昭和18)年11月のことで、キクの検挙の理由となったのが本日の1冊=『Au pays de la Reine』だとされています。
キクが本の扉に記した日付が「September 1943」で、その1行上には「Kamakura」の記載も見え、検挙直前に署名されたことが分かります。
ここまで辿ってきたキク ヤマタの足跡と、この後、戦後をどこでどのように暮らしたのか、その生涯の詳細については下記のアドレスで是非ご一読下さい。
私はリヨンの街に一度行ってみたくなりました。
https://sites.google.com/site/kikouyamata/nihongo
思うところも云いたいことも山ほどありますが本日はここまで。
明日からの4連休も心して過ごしましょう!

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