#205 6-1-6 Minamiaoyama Minatoku TOKYO
info@nichigetu-do.com
TEL&FAX:03-3400-0327
sitemap mail

new arrival

19/06/15 autograph ; 薩摩治郎八 ストラヴィンスキー 柳瀬尚紀

■よりによってプロレタリア系の作家だと云うのに、恥ずかしながら槙本楠郎という名前はほとんど念頭になく、児童文学関係筋とあってはこの人の旧蔵品については市場に出たところでほとんど手にとることもなくスルーしていたのですが、その日最後に一斉に改札する最終台のそのひとつ手前の台の上、槙本氏宛の年賀状やらハガキから、本人と関係があるとすればどういう考えであつめたものか不可解な紀元2600年や海軍関係の絵葉書など、ある種雑多なひとかたまりの出品に気付いたのは、改札まであと10分程を残す頃になってのことでした。
年度別に手製の袋に入れられた年賀状の差出人を見ると、亀井勝一郎、小熊秀雄、藤森静雄、遠地輝武、安部宙之介、武井武雄、武内俊子、黒崎義介、奈街三郎、そして後に北朝鮮で活躍することになる黄憲永などそれなりの人やその筋の方たちで(左上の画像参照)、昭和15年前後の木版画が主。印刷ですがデザインの光る女人芸術社の2通などもあって決して悪くはないものの、ブンガクと無縁になり果てた小店としてはそう強い入札動機のもてない内容です。
ところが。
この雑駁な一口のなかでも最も入札動機のもてない未使用の絵葉書のファイルの表紙を開けて出てきたのが薩摩治郎八の自筆ハガキでした。実に特徴的な筆跡は、間違えようがありません。

薩摩治郎八の自筆!
実は小店店主、この人の「草稿」で一度失敗し、尚且つその後ほんの数回と機会そのものが少なく、その度にチャレンジすれども不首尾に終わってきた薩摩の自筆ものです。
背後に迫りくる改札の足音にあせりつつ、とりあえず入札。がしかし直後に下札から上札まで1万円を上乗せした額で改め札を入れるとすぐに改札が始まって。
待つこと数分。無事落札。案の定と云うか例によって上札で。やれやれ。
前置きが矢鱈に長くてすみません。
さて、今回入手叶った薩摩の自筆は全て絵葉書で5通。父親または両親宛が4通、妹・増子宛が1通。また、両親宛と増子宛の2通が渡航先からのもので、残り3通は一時帰国していた昭和11年 ー 『薩摩治郎八と巴里の日本人画家たち』掲載年譜では空白の年 - に大磯や箱根など避暑地から父親宛に送ったものです。
渡航先からの2通の内、両親に宛てた1通は封書で送ったものか切手・消印なく8月28日の日付だけですが、英国で「40フィートの大海蛇」が猛スピードで「飛んだ由デイリーメールに出ています」とあり、海外からのものと見られます。
面白いのは妹・増子に宛てて出したハガキ。41年6月5日と書かれており、かつてプラハで行った講演が反ナチ的だという理由で、前年の9月頃から軟禁状態に置かれていたニースの別荘から発信されたもの見られます。
「今オカ〃二本、魚カン詰到着 全く天よりの賜物だ よく無事着いた 有難う 有難う(中略) 全く食料、サボン等は国宝以上(後略) パンゝ」
パリ社交界の寵児だったバロン薩摩にして、日本食を断たれカンヅメ状態に置かれてしまえば渡航先でのワタクシとそう変わらない単なるガイコクの日本人となるものらしい。文末の柏手「パンパン」には思わず同情含みの笑いがもれてしまうのでした。
これら5通に代々木の薩摩邸に宛てて出された薩摩家の人々の自筆ハガキ4通をつけた9通での販売です。
しかし…何故に槙本楠雄が薩摩家旧蔵のハガキを9通もっていたのかは謎のままです。何故だ!?

バロン薩摩とラヴェルとの親交は夙に知られていますが、彼らと同時代のパリで、ラヴェルとともに音楽界の寵児となり、やがて20世紀音楽を代表する作曲家となるイーゴリ・ストラヴィンスキーの自筆署名入り・タイプ打ちの書簡を市場で落札したのはもう4か月程前のことになりましょうか。一部はヤフオクにも出品されていたようで、ご存知の方も多いかと思いますが、今年放出されたその筋では夙に知られた個人コレクションからの1点です。 

書簡は音楽批評誌Revue Musicaleの編集長だったH(アンリ).プルニエール宛、1923年11月4日付けの1枚。SIMC(またはISCM=国際現代音楽協会)の評議会議長宛てに協会には参加できないことを伝えてある。よって、Revue Musicale誌掲載のSIMCフランスセクションのメンバーリストに自分の名が載るのは何かの間違いだと考えている。次号でこれを訂正していただきたい - 要約するとこうした内容。
ストラヴィンスキーくらいになると、このように強制的と云うのか自動的というのか、いずれにしても当人の確認もあいまいなまま名前を使われてしまうことなど多々あったとも聞きます。
名前を利用されたり騙られたり、運が悪ければ難癖付けて軟禁されたり、時の人とは「時代とともに踊らされる人」の云いのようで。
今回偶々自筆もの入荷が重なった薩摩とストラヴィンスキー。ともに、奇しくも40歳頃のものであります。

■自筆ものということでもう1点。「アリスと云えば!」の高橋康也へ「ジョイスと云えば!」の柳瀬尚紀が送った自筆書簡、便箋書き3通(内2通封筒付)とハガキ4通の全7通。
要は、高橋から贈られた著書に対する礼状なのですが、不可能とされる翻訳を可能にした言葉の人が、言葉遊びに注視した人へ送ったお礼の言葉は、ある種の芸域にまで達しているように思います。曰く「ウロボロス・ヤスヤーノフという怪物の果てしなく長い尾のことを思っております。」。曰く「『ノンセンス大全』のまばゆい嬉しさにまだ酔っているうちに『道化の文学をいただき、今度はうろたえています。』。曰く「高橋康也という博識存在に対して、ぼくは失語症になるのです。」。曰く「アローマのただようお手紙をいただき、なにか頭の下がる思いです。北海道の漁師町から出てきたばかりの田舎者が、不用意にも本物の紳士に出会ったような、そんな気持ちもします。」
こんな手紙かメールが書ける老人に私はなりたい。手遅れですね。

■今週の唖然と茫然。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20190614-00130084/

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190612/k10011949621000.html?fbclid=IwAR3T4iT01G18ESGP5N7QPQjHGYhQeTL_7cTecKUlsqas8azzQk2xzoLXm0Y 

19/06/01 「うつす」ということに関する3点。

■今日から6月。6月は東京古書組合南部支部主催による年に一度の大市の月。それが今年は6月8日(土)とあって、小店6月8日は午後遅く15時~16時からの営業とさせていただきます。どうかご注意いただけますようにお願いいたします。
本日6月1日(土)、来週の4日(火)・6日(木)は12時より20時まで通常営業いたします。ご不便をおかけし、なおかつ梅雨入りも近づいてきておりますが、ご来店いただければ幸いです。
また、HPの更新は来週1回お休みさせていただきます
どうか悪しからず、何卒よろしくお願い申し上げます。

画像1点目は本の上に立つベティちゃんとその愛犬パジーをかたどった金属製の置物。比較的重量があるので、ペーパーウェイトではないかと推測しています。このページ左上はその後ろ姿。前から見ても後ろから見てもかわいい。高さは10cm弱とこれまたカワイイ。がしかし、残念ながら「忠実なうつし」…というには少々苦しい造形は、わが国でもベティが大流行した昭和初期の日本製ではないかと見ています。

 

■後にインドの3大財閥と云われるようになるタタ・グループ2代目会長を務めたドラブジー・タタの婚礼を記念して、ごく小数部つくられたと思われる写真アルバムが今週の2点目。
見るところ19世紀の後半の頃のものらしく、幕末~明治の日本の写真アルバムを使ったのか、金彩画を施した重厚なアルバムに21×26cm強の鶏卵紙写真22点、横倍サイズの写真1点が貼り込まれています
タタ・グループはドラブジーの父、ジャムシェトジー・タタが1870年に貿易会社を設立したことに始まるそうで、自宅で開かれた結婚式と両家の家族などを記録した端正な写真と、この頃すでに一大財産を築いていた一族の所有する広大な土地や、贅を凝らした豪壮な邸宅の写真とで構成されています。
タタ・グループは1892年に世界初の公益信託のひとつJ.N.タタ高等教育基金を設立するなど、その名も『善良過ぎて潰せない』というタタの歴史を追いかけた著作があるほど、企業倫理の高い企業体だと聞きますが、その沿革概略を公開している同グループのサイトその他、いくもかのサイトを確認したつもりですが、このアルバムに残されている写真と同一のものは、いまのところ見い出せませんでした。
また、扉には、「R. Kawamura」と日本人の宛名が書かれているものの、一体どのような人物だったかは小店では解けない謎として残りました。
近い将来、せめてカワムラ氏の正体だけでも突き止められないかと思い、もとい、思っては、いるのですが、さて。

■社会変革、と云う点では、タタ・グループのお仲間と云うべきか…? 1950年代の国鉄工場の労働の現場と、国鉄労組による国会周辺でもデモ・抗議活動などとを収めた33枚の写真が入荷しました。戦前のプロパガンダ雑誌さながらの工場でのスナップ写真の中にはとくに力のある作品が目立ちます。
写真の1枚の裏に「日本機関紙協会」のスタンプ、別の1枚に「青年報道写真家協会 写真 山本静夫」のスタンプがあります。
「青年報道写真家協会」は写真家集団マグダムを意識して結成されたもので、山本は三木淳、大竹省二、田沼武能らとともに参加、顧問には木村伊兵衛と土門拳が迎えられたと云います(AERA dot.鳥原学連載「アサヒカメラの90年」第7回より)。
作品として見て優れているだけでなく、報道写真家を目指した人たちの視点が捉えた一瞬が、資料として見ることができる確かな記録となっていま残されています。

今週の蛇足。
https://mobile.twitter.com/tako_ashi/status/1133327621121486850?s=12&fbclid=IwAR3yYTcKf_S15KPmg6oQF8f8IgYUMoBkcBWnWkzTz7Q6Wa4ZXzQbtGkz_58

https://twitter.com/3sc5vunuphy5env/status/1127224186743603201

 

 

19/05/25 溝上遊亀がスケッチした中国・韓国。外国人が見た日本・中国。

■小倉遊亀と云えば日本画界の本流であり日本画の王道。小店とは全く無縁だとばかり思っていました。しかも、肉筆。どう考えても扱うことはない。
と思っていたのが何故、応札に及んだのかと云えば、小倉遊亀の画壇デビュー前の作品であること、描いているのが中韓旅行の際の風景だから、でした。
もうひとつ。何故小店なんぞに落札できたかと云うと、本画ではなくスケッチだったから、というのも大きかったと思います。
さて、今回落手した小倉遊亀の肉筆スケッチ画鉛筆と水彩によるもので、いずれもA3程のサイズで内訳は下記の通りです。
①署名と日付、場所が書き込まれた朝鮮半島でのスケッチが8点(全て鉛筆画で内2点に水彩による着彩。)。南坆鉄山ニテ、南坆停車場Hokuryo、FUSANヨリ、奉天鐘楼、本渓湖雨、など。
②同じく朝鮮でのスケッチで署名等記載がない(未完の?)スケッチが3点
③1916年の日付と署名入り、手首から先の手のスケッチ(鉛筆画に着彩)1点
草花のスケッチ5点(着彩1点、全点無署名)、
出所を証明するために添付して出品されたと見られる戦前のハガキ2通(小倉遊亀宛と溝上遊亀宛の各1通)
①と③に残されている署名や日付から、いずれも1915~1916(大正4~5)年に描かれたものと見られます。
この頃、小倉遊亀はまだ高等師範学校に学ぶ学生であり、安田靭彦の門下に入る前。もちろん小倉鉄樹と結婚する以前なので、署名は旧姓の溝上からとられており、“Y.Mizokami”“Y.M.”“Y.Mizo.”“M”“Y”“YUKI”などが混在しています。 

小倉遊亀についての基本的知識もないなら基本資料ももたず何も知らないままの現状では、断言は避けねばならないものの、画家・小倉遊亀のスタート地点に関わる資料 - かなり貴重な ? - としてみて良いのではないかと思います。
最後にもう一言。
いやあもううまいんです。かなり。小店店主が買っておこうと思ったくらい。ま、当然ですが。でもうまい!
 
日清戦争に勝利し、韓国併合を経て、小倉遊亀がスケッチ旅行で歩いた当時、日本人の多くはもうすでに朝鮮・中国に対してある種の優越感をもっていたのではないかと推測しますが、しかしそこから70~80年さかのぼると、西欧社会から見た日本は中国や韓国よりずっと珍奇な国だったのであろうことが分かる手彩色の銅版画(手彩色)のプレートが20枚。いずれも縦13.5cm、横8cm程度のかわいらしいサイズです。1823年にイギリスで発行された『The World in Miniature Japan』に収められていた図版部分。その名の通り、ミニチュアサイズの本で世界を紹介しようというシリーズで日本を扱った巻に収められていたものと見られます。
確かに日本? のよう? ではあるものの、中国や韓国、インドから中東諸国まで、オリエンタルなニュアンスが絶妙にちりばめられたとても面白い図版に目が釘付けです。
サムライや僧侶の服装と男性の髷についてはまだ、日本と断言できる域にあるものもありますが、男性でも兵士や力士ののなりは完全に別物、さらに女性のキモノに至っては完全に洋服をベースに描かれています。キモノ描くの、難しかったんでしょうね。
時はまだ徳川家斉ショーグン様の時代。シーボルトが出島に来たか来ないかという頃のこと。日本はまだまだ靄の向こうにあるまぼろしのような存在だったのだろうと思います。 

■時代の針をいままた少し進めて、1941年。上海の版元から出版された『SHANGHAI』の初版が入荷しました。2度目の入荷ではありますが、2011年以来、実に8年ぶり。以下の解説は前回入荷の際の自店のサイトから適宜コピペ。多少訂正した部分もありますので、こちら↓をご覧下さい。
上海バンドにあったNorth-China DailyNews & Herald 社発行の上海案内の本で、写真及び文章とデータなどをまとめたのはEllen THORBECKE、洒脱なイラストはSchiff(シーフー)によるもので、二人の共著による大人向けの絵本といった体裁・内容。
シーフーはフルネームをFriedrich Schiffというオーストリアのイラストレーター・漫画家で、中国および極東で新聞や雑誌、書籍、広告などの仕事についていました。共著者であるEllen Thorbeckeはドイツの女流報道写真家で1930年代の中国で活躍、カメラはローライフレックスを使用していたと云います。
上海の街と街に生きる人たちの日常の何気ない風景を切り取った写真と、コミカルでカラフルなイラストとのコンビネーションが実に洒落ています。小店店主の好きな本のひとつ。
 
さて、明日より令和初の国賓を迎えて、太平洋の向こうとこちらのショーグン様がご対面。ソーリお得意の おもてなしにはいくらかかってどんな国益がもたらされるものやら。というわけで、今週のニュースから。これが国費かと思うと…
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201905/CK2019051402000133.html

recent catalogue C by image

1435751335394.jpg

仏)明治39~44年フランス駐在日本人旧蔵 ...

1435408268634.jpg

NIPPON 13号...

1435225059408.jpg

空間の寸法体系、GMモデュールの構成と適用...

1285065720661.jpg

英) COMMERCIAL ART 1929 12冊号合本1冊...

1283159833885.jpg

石井舞踊詩研究所(石井獏主宰) 久米正雄宛...

1283159813298.jpg

寒水多久茂 第2回舞踊発表会 久米正雄宛 封...

1283159797468.jpg

石井美笑子舞踊発表会 久米正雄宛 挨拶状...

1283159653089.jpg

花柳美保 第一回創作舞踊発表会 番組 およ...

1281430587768.jpg

文壇余白 献呈署名入...

1270541920809.jpg

露西亜映画史略...

1269258859382.jpg

独) JOEPH BEUYS 7000 EICHEN ヨーゼフ・...

1268239922707.jpg

英) T.E. Lawrence. Book Designer, his fr...

1268062744850.jpg

仏) RUSSIE D'AUJOURD 'HUI JUILLET 1938...

1268060083774.jpg

仏) LE DOCUMENT Juin 1935 NUMERO SPECI...

1248339262542.jpg

マドレーヌ・ヴィオネ...