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22/11/28 移転の途上にて - 11月30日 表参道の鍵を返上します。


■唐突に表参道からの移転をお知らせした前回の更新からあっという間にひと月半が経ってしまいました。お陰様で表参道の店は本棚・什器を残して空になり、 11月末日には鍵も返上して、20年間通いなれたパレス青山を離れます。
移転先の住所と連絡先は下記の通りですが、定期的に在席して仕事を始められるようになまるまでにはまだ時間がかかりそうで、当面は所在不定が続きます。
暫くの間、ご連絡はSNSのDMか、ご存じの方は携帯電話をご利用いただくのが最も確実です。

移転先 〒145-0062 大田区北千束1-4-20 G-FLAT 101号 03-3724-1338

SNSは下記の屋号表記で検索してみて下さい。
Facebook 古書 日月堂 / Instagram nichigetsudo / Twitter 古書 日月堂 または @Nichigetu_do

店をもちながらも半ば以上はつかまらなかった従来の不便さはどうやらそのまま持ち越しとなりそうです。どうかご海容の上、引き続きよろしくお願い申し上げ ます。

考えてみると店というもの、商品をすべて取り払った状態で眺めることができるのは実に一瞬のことです。出来立てほやほやか、退去時の僅かなひと時くらいしかチャンスはありません。商品を抜き去ってしまえば空間はうろになる - 今回の移転で最も目を啓かされたのは、そんな傲慢な考えが吹き飛ばされたことにありました。
商品が全て撤去された後に立ち現れた空間 - コンクリートブロックを敷き詰めた床と濃いグレーの壁に、朱赤の本棚だけが並んでいる風景 - こそが、日月堂が最も美しくみえた景色でした。 

日月堂がどこへ行こうが消えようが、そんなものを惜しいとは思えませんが、この空間が消えてしまうことは惜しまれてなりません。
とはいえ日々刻々と移ろいゆくのが都市の宿命。上書きされることを受け入れる潔さも肝要なのだと思います。同じ場所に今度はどんな空間が立ち上がることになるのか、私も楽しみにしたいと思います。願わくば、いま以上に美しい空間でありますように!

■年内、HPの更新ができるかどうかはまだ読み切れませんが、FRAGILE BOOKSの定例記事が1本残っています。そちらではまだご紹介したことのなかったイギリスの古いモノグラムの蒐集帖(本体革装金彩!モノグラムと紋章はエンポス加工&多色多数!)をご紹介する予定です。

12月を目前に、表参道は一年で最も華やぐ季節を迎えました。
この美しい街で20年を過ごすことができたことは、ありきたりな言葉になってしまいますが、かけがえのない宝物です。お世話になったみなさまに、改めて心より御礼申し上げます。本当に有難うございました。
2023年はまだ色のついていない、とてもしずかな空間からのスタートとなります。
店でも事務所でもなく、あくまでワークスペースとなりますが、ご来訪は歓迎いたします。
陽のふりそそぐあたたかな空間です。
これからもどうかよろしくお願い申し上げます。
 

 

22/10/13 突然ですが 店舗移転についてお知らせいたします。

■藪から棒なはお話しで大変恐縮ですが、日月堂はこの度、2002年から営業を続けてきた表参道から離れることにいたしました
移転先での仕事は年明けより、年内は主に表参道での作業が続きますが、集中する移転作業に専念するため、店の営業は本日10月13日(木)・10月15日(土)の2日間、それぞれ12時より20時でお仕舞いとさせていただきます。
個別にご挨拶すべきお客様には大変心苦しい次第ですが、落ち着いたところで改めてご挨拶申し上げる心積もりでおります。
不義理を重ねての移転突入となってしまいました。
どうかご海容を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

1996年、大田区北千束で開業した日月堂は、2002年、南青山6丁目・根津美術館前のパレス青山に移転しました。以来20年の歳月を、パレス青山の2Fを居場所としてきたことになります。両親が住み替え好きで、家族と同居していた時代には7~8年で転居を繰り返し、独立して後は転職を重ね、仕事場も変わることの多かった小店店主にとって、同じところで過ごした歳月として20年は最長であり、年齢から考えて次の移転先でこの記録を超えることはあり得ず、小店店主にとっては最長にして不倒のレコードとなるのは確実です。

■たくさんのお客様に支えられてスタートした表参道の日月堂は、古本から、エフェメラへ、一次資料へと、商品の厚みを移すにつれて、より限られたお客様に支えていただく店へと変わっていきました。「店」という機能が必ずしも必要ではない方向へと歩んできていたことになります。
昨年還暦を迎え、同級生が雇用延長へと入っていくなか、老年期に入ってからの仕事の仕方を現実味をもって考えるようになったということもあります。
今後起こるであろうことを考え併せると、ここらで身軽になっておきたい。とくにこの数年は、その思いを強くしていました。
4度目の移転となる今回は、初めて店ではなく、事務所という形態をとることにしました。ご来店ご希望の方にはアポイントを入れていただくようにお願いすることになります。 

■在庫は、これまでの店の半分程度となる移転先の面積にもあうように、ぐっとスリムに、できれば半分にまで減らしたいと考えています。
これまで店頭で扱ってきた紙雑貨的な商品は、目黒のジェオグラフィカさんをはじめとする委託販売先や、年末年始・京都の恵文社さんなどの催事へ。ひねりの効いた癖のある商品・この世ににひとつだけの稀品や一次資料については自店メディアでの展開を検討している他、FRAGILE BOOKSといった個性の際立つサイトへ。事務所は多様化するチャネルに対応して、品出し・配分・発信していくための基地。移転先はそのような位置づけになるだろうと思います。
自力だけでなく、外部の方たちのお力をお借りするのもまた、老年期の備えとなるのではないかと考えています。

さて、2023年に始動する移転先は東急目黒線「洗足」駅より徒歩2分のG-FLAT。中庭に竹林を置いた建築と、目障りなものがひとつとしてないシンプルな、そして決して広くはない室内がどこか庵を思わせて、内見した翌日には申し込みしていました。調べてみると、2009年度日本建築家協会賞、2010年度日本建築家学会作品賞を受賞している物件でした。根津美術館の竹林を借景とした表参道に続き、日月堂はどうやら竹林にご縁があるようです。
入り口を入って竹林の向こう側の角部屋。G-FLATではおそらく最も小さなワンルームが次の日月堂です。竹林には賢人がつきものですが、ひとり愚人が混じる趣向とでもいいましょうか。
愚人にとってさえ、思わず静かに仕事をしたくなるような、静かでとても気持ちの良い空間です。
できるだけ簡単に、いつでも完全撤収できるように、「仮設の空間」をキーワードとして何もつくりつけない、これまでとは対極のような空間にできればと考えています。
そして、「日月堂」の屋号のつく空間としては、おそらくこれが最後の物件となるでしょう。

■表参道の駅で地下鉄を降り、エスカレーターで地上に出ると みずほ銀行に立ち寄り、青山通りを向こう側に渡って、ISSEY、COMME des GARÇONS、PRADA、Yohji Yamamotoの並ぶ通りを根津美術館の交差点まで歩く。パレス青山の1F郵便受けをチェックした後、階段で2階へ。ベランダにフラッグを出すのが営業していることのサインになります。当たり前のように過ごしてきた日々は、実は類稀なる客人の方々に支えられてはじめて成立する特別な日々でした。
長年にわたるご愛顧と、特別なご教示に心より御礼申し上げます。本当に有難うございました。
そして、洗足で始める新しい日々にも、変わらぬご加護を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

新着品のご案内は、入荷した商品次第ですが、年内も折をみてご紹介できればと思います。
今週の新着品はオリジナルのコラージュ作品。作家であるカール・ワルドマンについては専用のサイトがありました。
それによれば、ワルドマンはいまから約30年前とごく最近、ベルリンの壁崩壊後にコラージュとフォトモンタージュを中心とした1,200点の作品によって再発見された作家だといいます。
「構成主義の最近の発見の一つであり、間違いなく非常に重要な発見である。ドイツ・ロシアのアヴァンギャルドに連なるアーティストで、その作品はおそらく1930年から1958年までの期間に制作された。
彼の人生や人柄については、今のところほとんどわかっていない。」
ご興味の向きには、下記のページに出てくる英文をそのままdeepl翻訳にコピペしてみて下さい。いまどき珍しく、これから冒険のし甲斐のある未踏の大陸のような作家です。

Karl Waldmann Museum
http://www.karlwaldmannmuseum.com/fr/index.html

こんなのも見つかりました。
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-19652009/

K.W.の署名、裏面にハンコあり。小店にとっては今年一番の稀品であり珍品であり、もしかしたら優品なのかも知れません。
 

22/10/01 1900年代 漱石とユーゲント・シュティール図版集 附・ウイルス罹患顛末

■9月2日以来、ということは、ほぼひと月ぶりの更新となってしまいました。とうとう潰れたか? もしや旅だっちゃいましたか?、など、いらぬご心配をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした。
さて、いったい何がどうしてこうなったかという、一言で云えばコロナです。9月9日は市場二か所はしごして更新をさぼり、その翌週、とううとうコロナに感染し、大事をとって2週間ほど休んだため、ほぼひと月の空白期間が生じたという次第。その経緯については、自分自身の備忘録を兼ねて本日更新の末尾に書き留めておくことにして、先ずは新着品のご紹介から。
あ。あと来週の予定も。来週は大市の関係で、店は木曜・土曜日の2日間だけとなります。また、可能な限り予めご来店のご予定をお知らせ下さい。何卒よろしくお願い申し上げます。

さて、ようやく新着品のご案内。
1点目は小店に出戻ってきた「夏目漱石著書・装丁挿画コレクション」です。
そもそも切貼りによってつくられた手製のスクラップなので、タイトルは内容を示す仮のタイトル。つまりは、明治の文壇デビュー以降、大正中期までに刊行された夏目漱石の著書(書籍)から、カヴァー、本体表側の装丁部分、デザインの施された見返しと扉、挿絵、そして序文、奥付といった書誌情報の部分だけを抜き出し、台紙に糊付けしたもの。B4サイズの台紙にして76枚を数えます。
著書のほとんどが四六判よりひとまわり大きい菊版で、装丁部分だけをとった図版ですが、たっぷりとした印象を与えます。また、装丁挿絵や扉などはほとんどが多色木版刷で、1点毎に作品といってもおかしくないクオリティです。
内容をみていくと - 橋口五葉、中村不折、浅井忠が関わった『吾輩ハ猫デアル』17枚橋口と中村による『漾虚集』14枚、橋口の『鶉籠』『草合』各6枚、同じく橋口の『彼岸過迄』・津田清楓『明暗』各5枚、橋口の『三四郎』『行人』『虞美人草』各4枚、こちらも橋口の『門』『それから』『四篇』各3枚、漱石自装の『硝子戸の中』2枚。このうち、『門』と『明暗』は初版本から切り出したものとみられます。
いま「日本の古本屋」で調べてみると、『門』の初版・完本が20万以上、同じく初版・完本で比較的数が残っているとされる『明暗』でも10万前後。まさかいま、10万を超えるような本にカッターを入れようという人はほぼ皆無ではないかと思います。台紙に貼り付けた旧蔵者による題箋の手書き文字などからみても、重版や端本が古本としてまだ安く購入できた時代に成立したものと思われます。
実はこのコレクション、小店に再入荷したもので、最初に入荷したのは2016年といまから6年前。2017年1月の「銀座 古書の市」の目録に掲載し、某美大資料図書館含め、複数の注文をいただきました。
たまたま目をかけて下さっている大先輩の同業者のところに預けられたとうかがったのがコロナ罹患前の金曜日。療養集の出品をどうにか遅らせて下さいとお願いして聞き届けていただき、市場に復帰したその日に出品されたのを無事、落札して持ち帰ってきたものです。
そこまでして再び手にしたこのコレクション、さて、柳の下には二匹目の泥鰌が居るのでしょうか!? 

■新着品の2点目は、期せずして夏目漱石が小説家としてのスタートを切ったのと同じ年である1905(明治38)年、そして翌1906年にミュンヘンで発行された週刊誌『ユーゲント』の表紙と挿画のコレクション。ドイツにおけるアール・ヌーヴォー=ユーゲント・シュティールを牽引したのが他ならぬこの『ユーゲント』でした。
今週の新着品2点は、同時代、コレクションとして同内容、そして、東西で相互に影響を与えた素材が並びました。別口で落札した新着品で、取り上げるものがここまで一致はするのは珍しい。さらに加えていえば、橋口五葉のデザインとアール・ヌーヴォーとは切っても切り離せない関係が指摘されます。
話しを『ユーゲント』に戻すと、この当時の当誌のカラーの表紙、イラストは全てリトグラフ。テキストのページはほぼ残されていませんが、残された表紙やイラストのページの状態は良好です。
ユーゲント・シュティール(青春・様式)という明るい名前を与えられたドイツのアール・ヌーヴォーは、その名前とは裏腹に、どこかに昏さを潜めているように見えるのは、この後僅か10年後に、第一次世界大戦に突入していく歴史をすでに知っているからなのでしょうか。
ともあれ、カヴァー・コレクションの対象ともなる『ユーゲント』のプレートは1点ごとのバラ売りです。

さて、コロナ感染と回復の顛末です。
9月12日(月) 神保町へ。市場を覗くもめぼしいものなく1時間ほどで退散。帰途、のどに軽い痛みを感じて念のためという軽い気持ちで駿河台下のPCRセンターへ。抗体検査はシロ。PCR検査の結果は2~3日後にSMでとの由。
9月13日(火)咽喉の痛みも消え、体調に変化なく店へ。打ち合わせと作業を終えて22時頃帰宅。帰り道で膝関節にやや痛みを感じ、念のためお粥や白米のパック、冷凍うどんなど病人食的なものをまとめ買い。関節の痛みはあるものの熱は平熱。フツーに就寝。
9月14日(水)未明、関節痛で目が覚め、検温すると38.4度。朝、PCR検査の結果がSMで届き、陽性の判定。4回目のワクチン接種をした民間病院のコロナ外来の予約がとれ、この日の昼前には受診。今度は抗体検査の段階ではっきり陽性が出る。薬4種類と頓服1種類、5日分を処方され帰宅。
9月14日から 熱、頭痛 → 咽喉と耳の内側の激しい痛み → 咳と鼻水・痰 と主症状が変わりながら禁足令解除の20日を待つも、咳が続いているうちは自宅療養を続けることに。この日の抗体検査で陰性を確認。
9月22日(木)、9日ぶりに外出しスーパーへ。
23日(金)に市場に復帰するもまだ体調万全とはいかず上記の『漱石』だけ落札して帰宅。翌日より再び休む。
だるさはあるものの29日(木)店の営業再開にこぎつける。
一番きつかったのは咽喉と耳の内側の痛みでした。唾液を飲み込むのもためらわれる痛さが首に近いところにアイスノンをあてておくと多少軽減されるのに気が付いて、なるほど昔からの知恵はさすがであると感心しました。
いまだに手指の消毒剤を持ち歩き、外出先で消毒液が用意されていれば必ず利用、手洗い・うがいは当然励行し会食も避けきた自分がいつどこで感染したのか、いまもってさっぱり分かりません。コロナは厄介です。罹らないにこしたことはありません。とくに体調管理が難しい季節の変わり目に、これ以上どう用心すれば良いというのか手のつくしようもないコロナですが、どうか油断することなく、充分お気をつけ下さい。
ああ、それにしても今月は長かった。長くなったもうひとつの理由も近々に。

 

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