#205 6-1-6 Minamiaoyama Minatoku TOKYO
info@nichigetu-do.com
TEL&FAX:03-3400-0327
sitemap mail

new arrival

17/12/16 1920~30年代のツーリズムとグラフィック・デザイン/ストナーの代表作

 ■12月も半ば。気が付けば年内の営業日も数えるほどとなりました。来週以降、年内の営業日は下記の通りです。
12月19日(火・但し18時より) 21日(木) 23日(土) 26日(火) 28日(木) 
来週火曜日は市場の関係で夕方からの営業となります。ご注意下さい。他は12時より20時で営業いたします。
また、20日以降の月曜・水曜については、店内で作業している可能性がありますので、電話で在席をご確認下さい(留守番電話になっている場合は不在です)。
あっという間に残り5日。2017年は本当に12ケ月もあったのだろうかと訝しい思いはさておき、店内片付けを進めながら ご来店をお待ちいたしております。何卒よろしくお願いいたします。

N.Y.K.=日本郵船会社。明治18(1885)年に設立されたご存知日本を代表する海運会社です。海外の文物を日本に運び、東洋の端っこにある島国から海外へと文物を運ぶ。開国以来、日本と海外の人の行き来を支えたのは客船であり、明治以降、船を運営する会社は船内の設えからサービスまで、世界に出ていって恥じることのない世界基準を追求することになりました。例えば日本郵船の場合、多くの印刷物が残されていますが、パンフレットやメニュー、ラゲッジ・ラベルなど細かな印刷物ひとつとっても、「世界共通レベル」がいかに徹底されていたかがよく分かります。
今週の1点目は、ご紹介する機会を逸していた日本郵船の印刷物から。実は、4つ折りアンカットという体裁をとっている表紙の内側に奥付があるのに最近になって気が付いたというもの。実際、そこには重要な情報が記載されていました。
『SHOPPING AROUND THE WORLD』。タイトル通り、ヨコハマ、京都、韓国、ペキン、上海、ホンコンからハワイ、カルカッタ、ロンドン、マルセイユ等々、日本郵船の寄港地にのっとりつつ、世界中のお買い物事情について 英文と、日本人のセンスとは一味異なるイラストとで紹介していく内容。全文英文で書かれている日本郵船の対外宣伝物のひとつです。
1928年の発行で、構成とテキストはJames King Steele、イラストはDan Sweeneyという方によるものであることが、奥付を見つけて初めて分かりました。
で、調べてみるとジェームズ・キング・スティールもダン・スウィーニーも1920年代から1930年代にかけてアジア通として活躍していた人。J.K.スティールは旅行雑誌に寄稿したり、フィリピンの旅行ガイドなどを著したり。D.スウィニーはアメリカのイラストレーターで、上海、サイゴン、北京のホテルのラベルや広告のデザインで、例えば下記のサイトに見られるような優れた業績を残しています。
https://www.flickr.com/photos/wavesjax/sets/72157594341762115/
日本郵船の基本航路の案内と世界の支社の一覧など、ガイドブックとしての役割も担ったこの英文の冊子、日本郵船ならではの日本離れしたセンスをもつガイドブックです。

 ■『世界中でお買い物!』とほぼ同時代、やはりツーリズム周辺のグラフィックデザインの秀作が入荷しました。ポスターではよく知られていますが、こちらもポスターと同様にカッサンドルが表紙のデザインを手掛けた欧州「北方急行」のPR誌『NORD MAGAZINE』
1927年創刊の月刊誌で表紙はリトグラフ入荷したのは1929年~1933年発行内25冊。表紙図案は特集号や突き出し広告の文字組が入る号が一部に見られますが、それ以外全て共通、月によって色が異なるようです。
国際寝台車会社が誇る欧州豪華列車のひとつ、「北方急行」に相応しく、雑誌の内容は美術の新潮流、文学批評、ファッション・流行関係記事、映画や新譜レコードの紹介などかなり教養主義的(1929年4月号の巻頭記事は「スノビスム礼賛」!)。組版や写真にも吟味がゆきとどき、時々カッサンドルのポスターデザインを使った広告なども見られるなど、内容も充実したこの雑誌、小店でも扱うのは初めて。カッサンドル関係は海外でも入手が難しくなってきているようです。現段階では1929年から1933年まで、発行年別に3冊から8冊の一括販売を考えています。

カッサンドルど同時代、チェコのグラフィック・デザインを刷新したモダニスト、ラディスラフ・ストナー。ストナーの代表的著書のひとつで、それゆえに何度か復刻版もされている『visual design in action』の1961年発行の元版、初版、ハードカバーが入荷しました。巻末には、カッサンドルが活躍していたのと同時代の潮流を抉出した「early modern design concept」を収める当書からは、カッサンドルより3才年上で8年長生きをしたストナーが、よくも悪くもカッサンドルより些か“器用”に時代と渉り合ったさまがうかがえます。

■山のようにあった洋雑誌がようやく片付きました。キャビネット3か所入れ替え終了! 窓側平台上、一部入れ替え完了!! ボックス2~3箱 年内入れ替え予定!!! アメリカの写真雑誌やピンナップ・マガジンなど、意外なところに意外な見どころがみつかったり、戦前の建築関係の洋雑誌が久しぶりにまとまって見られたり、新着品と併せて店頭でご覧いただければ幸いです。

17/12/09 満洲国の首都『大新京建設画帖』と写真化学研究所の『P.C.L.営業案内』

 ■12月8日。いまから76年前の1941年、日本が真珠湾攻撃を仕掛けたのと同じ日に、私は神保町と五反田の市場をはしご。切った張ったの入札会とは云え呑気なものであります。クリスマスを目前に、エルサレムでは不穏な空気が広がるのを見、米朝軋轢は危険水域に入ったとの見方に触れるにつけ、このどこか安閑として見える仕事は (実際にはドタバタと忙殺の日々が続いているわけですが、こんな仕事で生計が立っているという点で) 所謂「平時」だからこそ続けられるものであり、思えば平和というのは実に有難いことであります。
いまから85年前の1932年、中国の長春では、実際には日本の植民地である満洲国の建国式典と、国際社会からすれば当初から傀儡政権であることが明らかな、溥儀の満洲国執政就任式が執り行われました。その翌日には満洲国の国都を長春に定め、新国家の首都に相応しい名称として「新京」と新たに命名、新京特別市が誕生したと云います。今週の1点目には、この長春のみに焦点をあてた書籍を選びました。
『第一次計画完成記念 大新京建設画帖』は1937(昭和12)年、大新京建設画報編纂室が発行したものがそれ。大判、クロス装・三方金。新京特別市長による中国語の序文がある以外はすべて写真版の片面刷。表紙にはロシア構成主義を思わせる図版が1点あしらわれ、本文ページの多くはモノクロ写真とアール・デコ風の飾りとで2色使い多数……といった調子のなかなか贅沢な本です。
写真は95ページ。関東軍司令部から始まり、宮内府、国都建設局、国務院新庁舎、諸官庁、中銀倶楽部と総裁官邸、大満鉄、満洲国電信電話株式会社、南嶺浄水池、開けゆく市街、大同広場、整然たる社宅、住宅地帯、三大カフエーの合成、新京の映画、舗装工事、満鉄付属地、交通機関、航空の整備 …… 等々、どれを画像にとったものか迷うほど興味深い項目とその写真が並んでいます。
旧市街の外側、“曠野”とも評された空白の土地に都市を出現させてしまった新京については施設や街区の様子(=都市の景観と機能およびインフラとその建設の過程)を、ここまで広く丁寧に拾った書籍は他にあまりないのではないかと思います。
ちなみに、落札した後、画像検索でも確認。掲載されている写真と一致するものが極めて少ないことも分かりました。
1945年、ソ連軍、新京を占領す - たったの8年で消え去る無運命だった「満洲国の首都・新京」の姿をいまに伝える1冊です。

 「何だこれ。ゴルフ場の営業案内か?」と市場で古本屋さんたちみんなが思った『P.C.L.営業案内』。云うまでもなく私も「みんな」のうちの一人だったわけですが、開いてビックリ映画関係でした。P.C.L.」はPhoto Chemical Laboratoryの略で、「株式会社写真化学研究所」のこと。つまりこちら、昭和4年に設立され、後に東宝に吸収されることになる映画会社の営業ツールだったわけです。刊期の記載がありませんが、1932~1933(昭和7~8)年頃に発行されたものと見られます。→町名変更に関するご指摘をいただき、「1936~1937年頃」に訂正いたします。末尾の「追記」をご参照下さい。
営業科目としはて映画製作(トーキー、サイレント、天然色16ミリ)、撮影・録音・現像・焼付・編修引受、出張映画の三本柱で、いわば当時の先端メディア企業。省庁や軍、国策関係の作品を多く手掛けており、当誌所収の「作品目録」でとくに目立つのが、「満鉄」をクライアントとした22本。但し本数でトップとなっているのは朝日新聞の25本です。民間企業では明治製菓、住友電線、ヤマサ醤油、松下乾電池などの名前が見える他、明らかに漫画映画だとわかる4作を含む10点の自社作品のタイトルも。この「作品目録」には各作品の「尺」も記載されています。
A4二つ折り16Pで、内9Pは製作映画のコマから落とした写真で構成。満鉄映画「日満連絡貨物」逓信省映画「空の文化」などのフィルムの一部からとられています。
状態は極美。綴じ穴があるのが惜しまれますが、幸い文字の欠けはありません。

Wikiはじめ、検索した範囲で出てくる情報では同研究所がもっていた撮影所を「北多摩郡砧村」や「砧」としているのに対して当誌の撮影所のクレジットは「世田谷区喜多見」。さて、これは単に市町村名の変更などによるもので同じところを示しているのか? はたまたどちらかが間違っているのか? そこまで調べるべきであると思いはするものの眠気には勝てず。あとはお求め下さった方にお任せするとして、古本屋はここらで退場することにいたします。

追記) P.C.L.砧撮影所の住所は当初「北多摩郡砧村大字喜多見」であり1936(昭和11)年10月に砧村が東京市に編入されて、大字喜多見が世田谷区喜多見町となった、とのご教示をいただきました。また、翌1937(昭和12)年9月には同社とその子会社の「ピー・シー・エル映画製作所」、トーキー専門の映画スタジオ「ゼーオー・スタヂオ」、阪急資本の映画配給会社「東宝映画配給」の4社が合併し、「東宝映画」を設立したとあることから、当パンフレットは1936年10月から翌年9月までというごくごく短い期間にのみ利用されていたものと見られます。

 

17/12/02 カッサンドル風の南満州鉄道会社と マティスとピカソと川島理一郎

 ■12月が始まりました。もう12月だなんて。今年はちゃんと12ヵ月あったんだろーか?もしかして何か月か飛ばしちゃったんじゃないのだろーか? とか、どうしても疑いたくなるような速さで2017年が過ぎていくことになりそうです。
このページの更新も年内はあと2回になるのか3回いけるのか、なにしろまだ年末年始のスケジュールを決めかねており、さらに資料会、洋書会、明治古典会と大きな市場が今月中に3つ控えているなど、現段階では年内まだまだ読めておりません。
と云うわけで、年末年始のスケジュールについてはまた改めてお知らせすることとして、例によって例のごとく今週の新着品からのご案内です。

1点目は昭和10(1935)年版の『北鮮線案内』「南満州鉄道株式会社 北鮮鉄道管理局」が発行したパンフレットで東京、大阪、下関にあった満鉄鮮満案内所で配布されていたようです。
全面展開してひろげると54×38cmのビッグタイズ。表紙の側はフルカラー印刷で交通図(路線図)と観光地の写真を、裏面は細かな活字でびっしりと「北鮮鉄道線概要」を所収。「概要」には主要駅の地勢・産業、古跡・名所や名物の他、旅館やカフェーなどの情報が要を得て簡とばかりに並びんでいます。
北鮮鉄道管理局は大正14(1925)年より朝鮮総督府直営だった朝鮮総督府鉄道の事業の内、清津以北を昭和8年満鉄に委託した際に設置された組織で、満州事変以降活発化した日満間の移動を担い優秀列車も多数走らせていたもよう。
まるでカッサンドルを思わせる瀟洒な表紙のデザインは、組織としての勢い、或いは世界と伍していくのだという鉄道会社のプライドを表すものだったのかも知れません。
本来、ほぼ同時代のフランスのノールエクスプレスの雑誌と一緒に並べたかったのですが、こちらについてはできれば次回のご案内で。しばしお待ち下さい。


 ■画家・川島理一郎。パリのアカデミー・ジュリアンで学び、日本人として初めてサロン・ドートンヌに入選。ピカソ、レジェ、ザッキンなどと交友、藤田嗣治とは寝食を共にし、第一次世界大戦では赤十字の活動に参加。帰国時には資生堂で個展を開催、以後、資生堂嘱託としてパリ情報を伝えたり化粧品パッケージなどデザインの仕事を手掛けたり、国画会にも参加したり。昭和2(1927)年にはマチスを訪問。戦時中は陸軍嘱託として北支や南方に派遣。戦後は日本芸術院会員に …… と、さまざまな方面から接続されてもよさそうな要素をこれほどまでに持ちながら、何故か売れない川上理一郎。先週のインテリアのプレート集の比ではないくらいに売れない。市場では落札した途端に美術と自筆もので定評のある古本屋さんに「川島理一郎買ったのぉ !? 売れないよぉ!!!」と云われてしまうし。それは私も骨身に沁みて分かっております。み-んな売れないのが分かっている川島理一郎。買いました。この写真と原稿を見るとですね、入札したくもなるでしょうと云うのが今週の2点目。
昭和30(1955)年、川島理一郎が渡欧し、戦後初めて再会を果たしたマティスとピカソに関する随筆の自筆原稿(それぞれ200字×8枚)と、マティスが鋏をもって切り紙をしている写真2点、ピカソと川島が並んだ写真1枚。ピカソは気軽な様子でアトリエを案内すると「お前も60才なら椅子が必要だろうと」笑いながら椅子を勧めたと云い、マチスは切紙絵の話しになるとその場で紙を切って見せ、「これをお前にあげる」と云ってまるで遠方から来た孫にでも対するように手渡したと云います。1955年の原稿と写真には、第二次世界大戦をはさんで彼らの上に流れた時間と歴史とを感じさせて胸を打つものがあります。
落札品は実はマティスとピカソの原稿と写真だけでなく、以下に主なものを列挙していくと …… パリの風景スケッチ肉筆4点、中国風の庭園を描いた手彩色銅版画1点、「日本写真会々報」肉筆表紙1点、絵自筆原稿3点(「戦後のパリ」「パリの二千年祭」「パリの街頭(服飾)」各400字4枚~8枚)、「世界的日光」と題されたペン画(軸装)1点などなど。
売れてくれさえすればどう転んでも損はしないはずのこの一口。なのですがしかし動いてくれなければ話しは始まらないわけで。我が店の年末年始のスケジュールや、10月以来やっぱり続くことになってしまったワタクシごと同様、まったく全然先ゆきが読めないのでありました。まいったまいった。

 

recent catalogue C by image

1435751335394.jpg

仏)明治39~44年フランス駐在日本人旧蔵 ...

1435408268634.jpg

NIPPON 13号...

1435225059408.jpg

空間の寸法体系、GMモデュールの構成と適用...

1285065720661.jpg

英) COMMERCIAL ART 1929 12冊号合本1冊...

1283159833885.jpg

石井舞踊詩研究所(石井獏主宰) 久米正雄宛...

1283159813298.jpg

寒水多久茂 第2回舞踊発表会 久米正雄宛 封...

1283159797468.jpg

石井美笑子舞踊発表会 久米正雄宛 挨拶状...

1283159653089.jpg

花柳美保 第一回創作舞踊発表会 番組 およ...

1281430587768.jpg

文壇余白 献呈署名入...

1270541920809.jpg

露西亜映画史略...

1269258859382.jpg

独) JOEPH BEUYS 7000 EICHEN ヨーゼフ・...

1268239922707.jpg

英) T.E. Lawrence. Book Designer, his fr...

1268062744850.jpg

仏) RUSSIE D'AUJOURD 'HUI JUILLET 1938...

1268060083774.jpg

仏) LE DOCUMENT Juin 1935 NUMERO SPECI...

1248339262542.jpg

マドレーヌ・ヴィオネ...